【読売新聞】オンライン部・吉田祐也 藤井聡太竜王が広瀬章人八段に快勝し、シリーズ3勝目を挙げた第35期竜王戦七番勝負第4局は、対局前日に興味深い出来事があった。福知山城天守閣をバックに、歓迎に訪れた将棋好きな子供から「好きな囲いは何
19歳の藤井聡太三冠が4連勝で竜王位を奪取し、将棋界の若き第一人者が誕生した。10代の四冠は初めてで、棋界の8タイトルのうち半分をとったことになる。中学生でデビューしてから数々の記録を塗り替えてきた藤井氏に、新しい棋歴が加わった。その藤井氏でも、なかなか新記録は厳しいとされる史上最年少の21歳で名人を獲得した谷川浩司九段(十七世名人)は、少年時代から藤井氏に注目し5月に「藤井聡太論」(講談社)を出版した。将棋本としては異例のヒット作となっている。藤井氏が四冠を達成した要因について、谷川氏は「この6カ月間で水面下のデータを蓄積・駆使しさらに大きく成長した」と分析している。 竜王は最高峰のタイトルで、同時期における最強の棋士である証明ともなっている。かつて19歳の羽生善治六段(現九段)も初タイトルとして竜王を獲得し、棋界の覇者としてのキャリアを重ねていった。今期は藤井四冠の作戦が精緻を極め、序
藤井 そうですね。奨励会の時点ですでに、棋士になった後の具体的なイメージ、目標などを思い描く方も多いと思うんですけれど、自分の場合は全然そんなことはなくて、なんとなく漠然と棋士になれたらいいなという思いでした。それ以上のことはあまり考えていなかった気がします。 でもいざ棋士になってみると、それはやはり少し違うというか、棋士になったからといって、楽になったらいけないんだなとは感じました。 記録はそれほど意識していなかった 丹羽 藤井さんの場合は、棋士になったのが中学二年生のときだし、漠然としていて当然だと思いますけどね。棋士になったことで、常に次の壁、次のステップが、目の前にどんどん続いていくことに気付いたという感じでしょうか? 藤井 そうですね。棋士になってから、目標は自分で設定して、それに向けてやっていく必要があるんだなと痛感しました。 ©文藝春秋 丹羽 デビュー
“王将リーグ”特集は3年目。2018年、第68期のテーマは「戦国」。2019年、第69期は「才能と努力」に定めた。 2020年。将棋界のみならず世界が大きく動いたこの年、第70期王将リーグ特集は「ニューノーマル」を主題とした。 時節柄センシティブな話題となり得る可能性もあるだけに、8人の棋士と個々に相対した時の想定が描きずらかったというのも本音だ。対談形式を設定した舞台裏はここにある。 「対談ですか? では、自分は藤井二冠を希望します!」 相手の設定は王将・渡辺明を含めてすべて「取材者一任」とボールを返投されていた中で、永瀬拓矢ただ一人が対談相手を希望した。そして、藤井聡太ももちろんそれを快諾。ペアリングに頭を悩ませていただけに、永瀬の快答と屈託のない笑顔が心強かった。 未知の病の流行で暗く停滞する日本中を明るく照らしたのは将棋界だった。 棋士たちの奮闘と勝ち星の行方は、誰をも過剰なほどに
△31銀は全く浮かんでいませんでしたが、受け一方の手なので、他の手が上手くいかないから選んだ手なんだろうというのが第一感でした。50分、58分、29分、23分という時間の使い方と△31銀という手の感触からは先手がいいだろう、と。 5分くらい眺めたところでは▲79玉で互角はある、▲25銀で決まってたりしないかな、と思ってましたが、読み進めていくうちに▲79玉△46歩は少し悪いのか、▲25銀は△46桂で負けだ、となって28分考えて▲79玉とした時点では「形勢は悪いけど持ち時間の差でひと勝負」という気持ちでした。 △87歩と垂らされたところで「あれ、全然粘れない」となって、あと数手指したら、もう大差になっていました。 感想戦では△31銀の場面は控室でも先手の代案無しということでしたし、控室でも同じように意表を突かれたと聞いて、そりゃそうだよなと納得したんですが、いつ不利になったのか分からないまま
まずは1勝―。先手の挑戦者・藤井聡太七段(17)が157手で渡辺明棋聖(36)=棋王、王将=に先勝した。17歳10か月20日で、史上最年少でのタイトル戦デビューとなった藤井は、通例の和服ではなくスーツ姿で登場。現役最強棋士との11時間の大激闘を制し、史上最年少タイトルに向けて大きな1勝を挙げた。タイトル獲得まで残り2勝となり、一気の王手を目指す第2局は今月28日に同所で行われる。 激闘の熱気に支配された特別対局室の中心で、藤井だけ涼しげだった。いつものように、伏した目を閉じながらささやく。「途中から苦しくしてしまったので、勝負勝負と行ったのが良かったのかなと思います」。勝つか負けるか。覚悟と勇気で打って出て、タイトル戦初勝利を飾ってみせた。 大一番こそ名局。17歳の真骨頂はタイトル戦でも不変だった。振り駒で先手を引くと、最も得意とする戦型「角換わり」ではなく、渡辺が豊富な経験値を持つ「矢倉
将棋の藤井聡太七段が史上最年少で挑む初めてのタイトル戦、「棋聖戦」の五番勝負が8日開幕し、藤井七段は初戦を白星で飾って初のタイトル獲得に向けて好調なスタートを切りました。 藤井七段にとって初めてのタイトル戦で、8日の時点で「17歳10か月20日」の藤井七段は、平成元年に屋敷伸之九段(48)が打ち立てたタイトル挑戦の最年少記録、「17歳10か月24日」を31年ぶりに更新しました。 8日の対局は、終盤まで正確な指し手を見せた藤井七段が次第に優勢となって、午後7時44分、157手までで渡辺三冠が投了し、初戦を白星で飾った藤井七段は初のタイトル獲得に向けて好調なスタートを切りました。 「棋聖戦」の五番勝負は来月21日まで東京と大阪で行われ、藤井七段が先にあと2勝をあげれば、今度は史上最年少でのタイトル獲得を果たすことになります。 対局のあと、藤井七段は「途中苦しくしてしまったが、勝負、勝負と、行っ
休日の新宿駅。 雑踏の中からスニーカー、リュックサック姿の青年が現れる。史上5人目の中学生棋士、破竹の勢いの29連勝で世間を驚かせた"テレビの中の人"だ。 しかし意外なことに誰もその存在に気付くことはない。スマホに視線を落とし、それぞれの目的地に急ぎ足で歩みを進めていく。世間とのギャップに、思わず吹き出しそうになる。 「天才」「神の子」―。藤井の名前は、常に華々しい形容詞で飾られる。 目の前に座る青年は、自らをどう客観視しているのだろう。 自分より年上の棋士たちを才能型、努力型、どのように分けるのだろう。 少々意地悪な問いだったかもしれない。"質問"という細い綱を決して踏み外すことのないよう、伏し目がちに考慮する。手元の紙おしぼりを所在なさげに弄ぶ。画面越しに何度も見てきた対局中の姿に重なる。 しかし、丁寧に導き出したその回答の言葉選びから、深い将棋への愛と、同じ道を歩む棋士への尊敬の気持
デビュー以来29連勝という前人未到の大記録を達成した15歳の中学生棋士、 藤井聡太四段と職域団体対抗将棋大会で33度の優勝を誇るリコー将棋部との座談会が 東京・千駄ヶ谷 将棋会館にて行われた。 藤井四段の勝負に対する考え方、コンピューター将棋ソフト(AI)の活用法、今後の目標など 話題は多岐に渡ったが、ひとつひとつの質問に対して、 言葉を選びながら慎重に話をする藤井四段の姿が印象的だった。 この様子をお伝えします。 古島 : こんにちは。リコーの古島です。将棋部の部長をやらせていただいています。今日はお忙しい中ありがとうございます。早速ですが、まずはリコーという会社を知っていますか? 藤井 : はい、知っています。プリンターやコピー機を作られている会社、というイメージです。 古島 : 以前、羽生善治さんが将棋の盤面をどのように覚えているかという話を聞いたことがあります。羽生さんが頭で思い浮
(写真)29連勝が懸かった大一番を制して感想戦に臨む藤井聡太四段=26日、東京都渋谷区の将棋会館(撮影・後藤淳) 14歳の中学生が「歴史的な快挙」(羽生善治三冠のコメント)を成し遂げました。26日、将棋の藤井聡太四段がデビュー後負けなしの29連勝をあげ、30年ぶりに連勝記録を塗り替え、歴代単独トップに立ちました。 「単独1位になれたことは、今までとは違った特別な喜びがある。自分でも想像できなかったことで、喜びとともに驚いている」―終局後の記者会見でこう語りました。 「苦しい将棋が多かった」と振り返る藤井四段。新記録が懸かったこの日の大一番も、前例のない「力勝負」の将棋となり、双方一歩も引かない攻防がつづきました。中盤でやや相手有利とみられた局面から、みごとな反撃を見せ、逆転勝利をおさめました。 この日の対戦相手は昨年の新人王戦(しんぶん赤旗主催)で優勝した強豪増田康宏四段(19)。将来が嘱
将棋の藤井聡太七段(15)が10日、名古屋市で同日夜に開催される「昇級・昇段を祝う会」に先立ち、会見に臨んだ。 名人を目指す棋戦・順位戦でC級1組昇級を果たし、さらに史上最速での七段昇段を果たした藤井七段は今後について「棋士としてタイトルを目指していきたいと強く思っています。棋士になった頃は遠い遠い目標でしたけど、距離を縮められた部分がある。力を付けて目指していきたいです。純粋な探求心を忘れず精進していきたい」と語った。 また、5日の第31期竜王戦ランキング戦5組決勝で石田直裕五段(29)に勝利した際の終盤で指した絶妙手「△7七同飛成」に将棋ファンが衝撃を受け、喝采を贈っていることについて「一言で説明するのは難しいですけど、人間であれば、ああした場面で条件を整理して、それにそった手を考えていく。その中で導き出した手でした。現状、最近のソフトは大変強いことは言うまでもないことですけれども、部
「6連敗したときは無言で新幹線で泣いていました」(母) 家での生活は、もっぱら将棋中心。宿題は学校ですべて終わらせていたので、親は最近まで学校で宿題が出ていることすら知らなかったそうだ。 聡太が将棋に初めて触れたのは、5歳の頃。祖母が入門用の「スタディ将棋」(くもん出版)を持ってきたのが始まりだった。いとこ全員の中で、聡太だけが興味を示したという。 「どんどん強くなっていって最初は戸惑いました。プロ制度の仕組みなんて何も知らなかったですし……」(裕子) 小学1年の終わり頃にはアマチュア初段、大学の将棋部で代表に入れるレベルの実力になっていたという。 「子供大会だけでなく、一般の大会にも出ていたので、年齢がいくつも上の子や大人と対局することになります。聡太は相手の年齢に関係なく、負けるのが悔しかったようで、泣いて対局場の椅子から動かなかったこともありました。負けず嫌いは昔から変わっていないで
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く