「津波」先人の警鐘生かされたか 東日本大震災 住民が明治時代から高台移住を続けた吉浜湾=6日、大船渡市 住民が明治時代から高台移住を続けた吉浜湾=6日、大船渡市 11日で発生から1カ月を迎える東日本大震災。東北の沿岸部を襲った津波は多くの家、人々をのみ込んだ。「人知を超えた災害」とも言われる一方で、先人は津波への警鐘を残している。歴史から何をくみ取り、教訓をどう継承するのか。再び同じ被害を繰り返さないためにも、過去の津波被災地を歩き、学ぶ。 ◎大船渡・吉浜湾/「明治三陸」で被害、高台に集団移住 大船渡市の吉浜湾は、ほかの三陸海岸の湾とは風景が異なる。中心集落があるはずの湾奥部の低地には家屋がなく、水田が広がる。中心となる集落の家屋約100世帯は海抜20〜30メートル前後の県道沿いに並ぶ。 「吉浜では海辺の低地に家を建てないことが常識。親から言い伝えられて守った教訓というよりも常識なんだ