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ブックマーク / arisan-2.hatenadiary.org (7)

  • クライストの短編 - Arisanのノート

    クライストという作家の作品は、『千のプラトー』のなかで、その有名な戯曲『ペンテジレーア』が論じられているのを読んだときから、ずっと読みたいと思っていた。 敗戦から間もない時期に出版されたこの岩波文庫に収められているのは、表題作をはじめ、この作家のすべての短編小説であるという。 (以下引用文は、漢字を現在普通に使用されているものにあらためた形で引いた) そのなかでは、岡真理が『記憶/物語』のなかで論じていた『チリの大地震』が、やはり秀でた傑作だと思う。 この作品については詳しく書かないが、気がついたのは、結末で起きる教会堂での虐殺というのは、たしかに大地震の衝撃によってもたらされた群衆の内なる衝動の噴出だと読めるが、これはその「非常」のときに突然起きたものではなく、すでにその前、尼僧院の庭で密通した若い男女の処刑に熱狂する人々の様子のなかに、その根のようなものが描かれているという点である。

    クライストの短編 - Arisanのノート
    yugui
    yugui 2006/10/06
    特に後半。「聖ドミンゴ島の婚約』持てることに疑問を持たない力ある者にとっての、「奪われる」ことへの不安、憤り。
  • ワーキングプア・誇りについて - Arisanのノート

    「ワーキングプア」をとりあげたNスペのことを書いたきのうのエントリーだが、予想外に反響があった。やはりテレビ番組をとりあげると反響が違うというのは知ってるけど、この話題はとくに多くの人が切実なテーマとして見たのだろう。 あとで、他のサイトを見ると、いくつか告知がされているところがあって、放映前から注目されてたことが分かる。構造的な問題として、こういう社会の現状をとりあげたのは、すごく大きな意味があった。 最近、NHKはなかなかいい番組を作ってると思う。 また今回の番組の場合、実例として取材を受けカメラの前に立たれた、いわば「当事者」の方たちの存在感というものも、たいへん大きかったと思う。 お名前は「仮名」ということだったが、顔を出して、しかも自分の生活ぶりや経済状態などや、自分の意見・気持ちまで、あんなにしっかり出せるというのはすごい。もちろん、なにがしかしっかりしたものを持ってる人たちだ

    ワーキングプア・誇りについて - Arisanのノート
    yugui
    yugui 2006/07/25
    「「誇りを重視しない社会国家」」
  • 貧者のゲーテッド・コミュニティ - Arisanのノート

    酒井隆史の『自由論』のなかに、「<セキュリティ>の上昇」という文章があって、そのなかでいわゆるゲーテッド・コミュニティの三つのタイプの区別が紹介されている(ブレイクリーとスナイダーという人たちによる)。 そのひとつは「ライフスタイル・ゲーテッド・コミュニティ」と呼ばれるもので、富裕な人たちを対象に、特定の趣味や年齢を共有する消費者向けにデザインされたコミュニティで、70年代から発展してきたもの。ふたつめは、「特権的ゲーテッド・コミュニティ」といって、通常ゲーテッド・コミュニティという言葉でイメージされるような、高度なセキュリティ機能をもった壁やフェンスによって周囲から隔てられた居住コミュニティである。 この両者の違いは、前者は後者ほど、外部の者の排除があからさまでなく、セキュリティということが前面に出ていないということだろうか。 ぼくがとくに印象的だったのは、三つめのタイプとしてあげられて

    貧者のゲーテッド・コミュニティ - Arisanのノート
    yugui
    yugui 2006/06/20
    「ある種の閉鎖性がなければ安心して幸福に生きられない人たちが大勢いる」
  • 分かるということ - Arisanのノート

    他人のことが分かるという場合に、自分の経験や心理から想像して、つまり相手と自分を同一性においてとらえて「分かる」という意味と、他人と自分との差異を「分かる」という意味との、二つがある。 前者の意味で分かったとき、相手と自分との差異は消えてしまう。言い換えると、相手の生や経験は、自分の経験の中に呑み込まれてしまう。他人のことが分かったというのは、結局自分自身を分かったということに過ぎないのではないか、という疑問が生まれる。 一方、後者の「分かる」は、難しい。他人の経験が根的には想像不可能であることを認識するということだが、そのためには前者の意味での分かろうとする努力、つまり自分の体験を拠り所(参照)にしながら相手の経験や心理を想像する努力が、まず必要ではないかと思う。その努力の挫折によってだけ、差異を分かるという意味で、ぼくたちは他人のことを分かることができるだろう。 一番厄介なのは、そう

    分かるということ - Arisanのノート
  • 反CPE運動への賛辞と危惧 - Arisanのノート

    フランスの反CPE運動は、政府側が折れてやっと決着したようだ。 たしかに学生と労働者が、立場の違いを越えて大同団結し、数百万人規模の行動を長期間持続させて、政府に政策を撤回させたというのはすごいことだ。 とりあえず、社会のなかで多くの人たちが政府の勝手な政治の進め方に対して声をあげ、たたかったということ自体が評価できる。この国では、まだ「政治」が生きているんだなあ、と思う。 労働者や学生が現実におかれている雇用の状況をかんがえると、「労働者の権利」を守るための闘争、ということにも正当性がある。ある人たちの権利を守るためのたたかいを、「既得権への固執」だといって非難し、他の人たちの利益や権利の擁護と対立するかのように言って分断させようとするのは、いまの権力の常套手段だ。今回はそれに打ち勝って、幅広い人たちがいっしょに戦えたということ自体に、現状では大きな意義があるだろう。 だいたい、労働者や

    反CPE運動への賛辞と危惧 - Arisanのノート
    yugui
    yugui 2006/04/13
    ある人たちの権利を守るためのたたかいを、「既得権への固執」だといって非難し、他の人たちの利益や権利の擁護と対立するかのように言って分断させようとするのは、いまの権力の常套手段だ
  • 早大ビラまき逮捕事件にふれて - Arisanのノート

    早稲田大学で起きた、ビラをまいていた学生が逮捕されたという事件のことは、ずっと気にはなっていたが、どう書くべきかが分からなかった。 先日、『成城トランスカレッジ!』に、同サイトの運営者であるchikiさんが、この事件についてのシンポジウムを傍聴した報告と感想を載せておられるのを読んだので、この事件と記事の内容とに関して、思うことを少し書いておきたい。 空間の私営化 この事件に関して、ぼくは大雑把な印象しか言えないのだが、最近ずっと書いてきた大阪市の公園からの野宿者の排除と共通しているものが底にあるのだろう、とは思う。 それは、公園とか大学の構内(あるいは大学そのもの)といった、これまで誰でもが出入りできるし適当に使っていいとされていた空間や場所が、急速に「私営化」されつつある、ということだ。 「私営化」というのは、カントのいう「パブリック」な場所ではない、そこを所有・運営している特定の主体

    早大ビラまき逮捕事件にふれて - Arisanのノート
  • セクハラ・性行為の五つの意味 - Arisanのノート

    すでに多くの方がご存知のサイトだと思うのだが、どうしても紹介しておきたいので、一部を引用しながら感想を書くことにした。 『Fuckin' backlash』 このサイトの存在も、前回の記事と同じく『成城トランスカレッジ!』さんを通じて知った。 セクシャル・ハラスメントなどの性被害をテーマにした非常に優れたサイトだが、ぼくがこのサイトを見て思ったことは、「俺、セクハラしまくってるやん!」てことだ。 これまで生きてきたなかで、それに該当する行為をずっと重ねてきたと思う。具体的には、ここでは書きにくいが。 そのことに気がついたのもショックだったが、いままでそのことにまったく気がついていなかったことのほうが、ある意味もっとショックだ。 世の中には、ぼくのような人や、逆の立場でやはり気がついていない人というのが、いっぱいいるんだろう。 このサイトは、まだ記事の数が限られているので、全部読むことが可能

    セクハラ・性行為の五つの意味 - Arisanのノート
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