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Interviewとearthquakeに関するyukattiのブックマーク (16)

  • 東電に「命をかけろ」と言ったのは間違いではなかった…東日本大震災を陣頭指揮した菅直人の自戒と教訓 岸田政権の能登半島地震対応は「私の感覚とは違う」

    東日に人が住めなくなるかもしれない「最悪の事態」だった ――東日大震災と東京電力福島第一原発事故から13年がたちます。当時の菅直人内閣の危機対応は強い批判を受けましたが、当時の対応をどう振り返られますか。 福島原発事故は、対応を誤れば東日に人が住めなくなるという事態でした。自衛隊をはじめいろいろな人が頑張ってくれましたが、東日に人が住めなくなる「最悪の事態」まで被害が拡大しなかったことは、言葉は難しいですが、ある種の達成感はあります。 ――一方で、原発事故により福島県などからの避難を余儀なくされ、今も故郷に帰れない方々も大勢いらっしゃいます。 それが原発事故の怖さなんですね。(避難指示は)仕方がなかったとはいえ、多くの方が元の生活に戻れずにいることについては、大変申し訳ないと思います。 「自衛隊10万人動員」を早々に決断 ――震災が発生した時、首相として何を最優先に考えて行動しまし

    東電に「命をかけろ」と言ったのは間違いではなかった…東日本大震災を陣頭指揮した菅直人の自戒と教訓 岸田政権の能登半島地震対応は「私の感覚とは違う」
  • 「初動に人災」「阪神の教訓ゼロ」 能登入りした防災学者の告白:朝日新聞デジタル

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    「初動に人災」「阪神の教訓ゼロ」 能登入りした防災学者の告白:朝日新聞デジタル
    yukatti
    yukatti 2024/01/15
    “迅速な初動体制の構築は、阪神・淡路大震災から数々の震災の教訓として積み重ねられ、受け継がれてきました。それが今回はゼロになってしまっている印象を受けました。“
  • 度重なる大災害、なぜ社会は学ばない? 「日本沈没」に描いた違和感:朝日新聞デジタル

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    度重なる大災害、なぜ社会は学ばない? 「日本沈没」に描いた違和感:朝日新聞デジタル
  • 想像超えた震災の現実、あの日から描けなくなった 日本沈没の漫画家:朝日新聞デジタル

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    想像超えた震災の現実、あの日から描けなくなった 日本沈没の漫画家:朝日新聞デジタル
  • 「人は簡単に『忘れてはいけない』という。でもね......」外国人歴史家が体験した3.11 | ハフポスト

    オーストラリアに生まれ、日に40年以上暮らした歴史学者が、2011年3月11日、宮城県で被災した。彼はその日を、そしてそこから4年を、どう過ごし、考えたのか――。

    「人は簡単に『忘れてはいけない』という。でもね......」外国人歴史家が体験した3.11 | ハフポスト
    yukatti
    yukatti 2015/03/12
    震災の体験、今後生きていくためのこと、そして未来について。短期、中期、長期への思いと覚悟
  • 阪神・淡路大震災記念 人と防災未来センター

    このコーナーでは、毎回、「人と防災未来センター」(神戸市中央区)にて自らの体験を生で語る語り部さんのインタビューを掲載しています。 第1回「大災害のときは、消防、警察、市職員はすぐさま現地に来ることはできません」 第2回「家族の集合場所を決めていれば安心です」 第3回「震災は私たちから大切なものを奪い また、たくさんのことを教えてくれました」 第4回「尊い命を大事に?強く生き抜いてきたこの10年と地震への備え」 第5回「日ごろからの近所づきあいは、いざという時のために必要だと思います」 第6回「自分を守るのは自分。『防災』も大事ですが『減災』にもどうぞ目を向けてください」 第7回「消防署員という立場で震災を体験。救助する側もされる側も、                 いざという時にできることは限られています」 第8回「クラッシュ症候群を乗り越え、たくさんの支えを受け、息子の分まで生きてい

    yukatti
    yukatti 2011/09/29
    語り部インタビュー
  • 「なぜ”24時間ニュース番組”がない?」デーブ・スペクターが日本の震災報道を斬る!

    東日大震災から3カ月。この間、地震と津波、そして原発事故という三重苦をさまざまな形で報じてきた日テレビメディア。衝撃的な映像とともに多くの情報を視聴者のもとへ届けてきたが、その内容には懐疑的な声も少なくない。一部では海外メディアの報道姿勢と比較しながら、政府の”大営発表”をタレ流ししてきたと指摘する声も多い。そこで、日米両国のテレビ事情に詳しいデーブ・スペクター氏に、災害報道における日米の違いや、制作サイドから見たテレビの問題点を語ってもらった。(聞き手=浮島さとし/フリーライター) ――東日大震災から3カ月が経ちました。デーブさんも連日テレビに出演されていたわけですが、当時のスタジオの空気はいかがでしたか? デーブ氏(以下、デーブ) 経験したことがない異様な雰囲気でしたよね。スタッフもみんな寝てないし、判断力も落ちてたし、疲労でイライラしてて。それでいて、原発の危険さをあおって

    「なぜ”24時間ニュース番組”がない?」デーブ・スペクターが日本の震災報道を斬る!
    yukatti
    yukatti 2011/06/23
    日米の災害報道の違いの指摘など、面白いインタビュー
  • 特集ワイド:巨大地震の衝撃・日本よ! 前宮城県知事・浅野史郎さん - 毎日jp(毎日新聞)

    <この国はどこへ行こうとしているのか> ◇「できる」確信が勇気に--前宮城県知事・浅野史郎さん(63) 「どうも、どうも。いらっしゃい」。横浜市の自宅で迎えてくれた浅野史郎さんは顔色も良く、すっかり元気そうに見えた。09年、成人T細胞白血病(ATL)を発症。闘病のため、公の場からしばし退いた。骨髄移植を受け回復、体調と相談しながらではあるが、この5月からは慶応大の教壇にも復帰した。 「東日大震災には大きな関心、痛みを持って受け止めています」。被災地の宮城県は浅野さんの出身地であり、知事として3期12年、辣腕(らつわん)をふるった地でもある。早期復興を願う気持ちは強い。 「菅降ろしなんてやっている場合ですか。与野党抜きに震災対策・原発事故対応に力を合わせて協力しろよ、と文句の一つも言いたいですよ。まだ野党の立場なら、ここを先途と攻めるのは分からなくもない。しかし与党からも動きがあるとは何で

    yukatti
    yukatti 2011/06/10
    "「できる」確信が勇気に"。ご回復順調そうで何より。"世のため人のため"に働く、生きること。
  • ルース駐日米大使:インタビュー全文和訳 - 毎日jp(毎日新聞)

    ジョン・ルース駐日米大使とのインタビューの日語訳は以下の通り。聞き手は河野俊史(毎日新聞・編集編成担当)。 ◇震災当日の対応と米軍トモダチ作戦 Q 最初の質問は、東日大震災が起きた時の大使の対応です。3月11日の地震が起きた際、まずどうされましたか。いつ、オバマ大統領に電話をかけられ、その時、大統領はどのような様子でしたか。 A 地震が起きて、まず取りかかったのは大使館で働くすべての職員と、日にいる米国市民の無事を確認し、安全を確保することでした。ご存知のように、不幸にして2人の米国人が亡くなりました。その情報が入ったのは後日のことでした。 館内の打ち合わせを済ませた後、ただちにワシントンに電話をかけ、(オバマ)大統領や(クリントン)国務長官らに報告しました。それ以降、米政府は、日に滞在する米国人を助けるためだけでなく、窮地にある日友人を助けるためあらゆる手を尽くし、全力を傾け

  • 死なせてしまった消防団員たちの遺志を継ぐ 立谷秀清・相馬市長インタビュー JBpress

    (インタビュー記事は2ページ目から) 思いつきとパフォーマンスを得意技とするのが菅直人首相だとしたら、短時間で練りに練った案を作り上げ、それに従って組織を大胆に動かしているのが相馬市の立谷秀清市長である。 古い時代に例えるなら、今の日の首相はお公家様で、相馬市長は戦国武将と言えるかもしれない。少しでも油断すればお家の危機を招きかねず常にリーダーとしての研鑽を積んでいる戦国武将。 市長の迅速・的確な指示で助かった多くの命 立谷市長には、完全に体に染み付いているリーダーシップを感じた。実際、相馬市では1512世帯が津波の被害を受けたが、被害を受けた地区の約5200人の住民のうち、9割の人々が一命を取りとめている。 今回の大震災では大きな津波の被害を受けた東北地方の市町村の中で、人命を救えたという意味では圧倒的な割合である。立谷市長の迅速で的確な指示が功を奏した格好だ。 その後は文にあるよう

    死なせてしまった消防団員たちの遺志を継ぐ 立谷秀清・相馬市長インタビュー JBpress
    yukatti
    yukatti 2011/06/01
    素早く強い意思をもって決断を下し、方向性を示し、実行する。「全体を見る」話。/このやり方に異論のある人もいると思う
  • 〈82歳のジャーナリスト、加藤恭子が語る震災と戦争〉part1 穴のあいた天井 - エキサイトニュース

    このは、大学卒業後、旦那さんとアメリカへ留学した加藤さんの物語だ。最初は行きたかったわけでも、英語ができるわけでもなかった。渡米してから英語を必死で勉強し、ときには文化の違いで喧嘩をするまでに。議論では決して負けないパワフルなアメリカ生活が記されている。以前、戦争について伺おうとインタビューをしたこともあって、〈私たち日人は、65年間平和が続いていますけれど、その間に世界では何百もの戦争や紛争が起きている。日が巻き込まれる日は、残念だけれどきっと来ますよ〉ということばが強く印象に残っている。 震災から2ヵ月半、いま俺たちが聞くべきは、戦争を体験し、そこを力強く生き抜いてきた加藤さんのことばなんじゃないだろうか、そう思い、取材依頼の電話をかけた。 (取材日:4月22日) 天井に穴があいた 加藤 計画停電はありましたか? ーーそれが一度もなかったんですよ。都内なんですけど。 加藤 あら…

    〈82歳のジャーナリスト、加藤恭子が語る震災と戦争〉part1 穴のあいた天井 - エキサイトニュース
  • 特集ワイド:「永住」表明、ドナルド・キーンさん 「私の日本」 - 毎日jp(毎日新聞)

    福島第1原発の事故が深刻化し、海外脱出する人々が相次ぐなか、この人は「日に永住したい」と表明した。日人より日に詳しいといわれるコロンビア大の名誉教授、ドナルド・キーンさん(88)。70年間、日と向かい合ってきた大学者の目に、この国はどう映っているのだろうか。【ニューヨーク山科武司】 ◇大震災…騒がず、悲しみこらえ復興へ 心の奥底に「してはいけないこと」持っている ◇この人々と共に生き、死にたい 米ニューヨーク・マンハッタン北西のアッパーウエスト地区。アパート11階のキーンさんの自宅からは、ハドソン川の流れが見える。お邪魔したのは、4月というのにまだ風の冷たい日。毎年1月から6月まで、このアパートから大学に通い、残りを日で過ごす。そんな日々を40年ほど続けて来た。 「松島(宮城県)はどうなりましたか」 あいさつを終えるや、キーンさんがたずねた。毎日新聞は松島に大きな被害はなかったと

    yukatti
    yukatti 2011/05/18
    新聞記事としてキーンさんの言葉も記事の中で断片的になっている、にも関わらず、読んでいたら心が揺さぶられて泣けてきた。
  • 時事ドットコム:津波に強い人工地盤を=大西隆・東大院教授−論客に聞く

    津波に強い人工地盤を=大西隆・東大院教授−論客に聞く 津波に強い人工地盤を=大西隆・東大院教授−論客に聞く 政府の復興構想会議の委員を務める大西隆・東大大学院教授(都市工学)は時事通信のインタビューに応じ、津波対策として、人工地盤の高台上の町づくり案などを提案した。要旨は次の通り。  −津波に安全な町をどうつくるか。菅直人首相は高台への移住を提唱しているが。  それが基だ。1896年の明治三陸地震の津波、1933年の昭和三陸地震の津波の後も「高地移動」という言葉で高台への移転が提案された。ただ、「言うは易く行うは難し」という政策でもある。全部を高地に移動するのは大変だ。  100戸や200戸までの集落なら、集落ごと移すことができるが、岩手県陸前高田市や宮城県南三陸町は丸ごと市街地がやられている。数千戸を高台に移すスペースを造れるか大きな問題だ。  人工地盤を造り、その上に町や主要な建物を

    yukatti
    yukatti 2011/04/24
    "国が個々の町、集落について「こうしろ」とまでは言うべきではない。だが、技術的な問題は国が検証し、情報提供することが必要だ"
  • インタビュー:義援金の公平な配分は大きなチャレンジ=日本赤十字社 | Reuters

    [東京 7日 ロイター] 太平洋側の東北地方を中心に壊滅的な被害をもたらした東日大震災は、11日に発生から1カ月を迎える。日赤十字社にはこれまで、約1100億円の義援金が寄せられているが、被災者への配分には乗り越えなくてはならない課題が多いという。 日赤十字社の近衛忠輝社長がロイターのインタビューで語った。 マグニチュード9.0の地震と大津波による死者・行方不明者は約2万8000人に上り、依然として16万3000人が避難生活を強いられている。 義援金について近衛社長は「寄付した人は、べる物がなく、何もかも失った人たちに早く配ってほしいという気持ちが当然あると思う」とした上で、「ただ、行方不明者が多くおり、行政も機能しておらず、被災者はいろいろな避難所にばらばらに避難している。こうした状況で公平に配るというのは技術的に非常に難しい」と語った。 1995年の阪神・淡路大震災の際には、義

    インタビュー:義援金の公平な配分は大きなチャレンジ=日本赤十字社 | Reuters
  • / WSJ日本版 - jp.WSJ.com - Wsj.com

    アパラチコラで過ごす優雅な時間 メキシコ湾沿いの入り江に面した米フロリダ州の小さな町アパラチコラ。こじんまりした海辺のホテルに宿泊し、バーで新鮮なシーフードを味わえるほか、地ビールの醸造所もある。綿花や漁業で栄えたこの町には、グリークリバイバル(ギリシャ建築への回帰)様式の優雅な住宅が散見される。数キロの沖合に浮かぶセントジョージ島には白い砂浜が広がる。

  • 東日本大震災:私たちにできること お笑い芸人・伊達みきおさん - 毎日jp(毎日新聞)

    ◆お笑い芸人・伊達みきおさん(サンドウィッチマン) ◇笑い合えるときが来たら、被災地でライブを ◇応援に恩返ししたい 地震発生時、テレビ局のロケで宮城県気仙沼市の魚市場近くにいました。高台に避難し無事でしたが、津波が街をのみ込む様子を目の当たりにしました。 3月25日にもテレビ番組のロケで再び気仙沼に入り、被災者の話を聞きました。「つらい」とか「物資が足りないからもっとちょうだい」などとは一切言わず、「大丈夫」「心配してくれてありがとう」と逆に感謝の言葉をもらいました。 そんな姿を見ると、東北の人は精神的に当に強いと感じます。昔から寒い中、一生懸命に魚を取り、米を育ててきた人々です。東北は必ず復興できると信じています。 気仙沼の避難所では村井嘉浩・宮城県知事と偶然会って、「テレビやラジオを通して被災地のことを発信し続けてほしい」と言われました。今は連日被災者の様子が報道されていますが、時

    yukatti
    yukatti 2011/04/06
    "時間がたてば報道も減り忘れられてしまうかもしれません""被災地の復興には、少なくとも15年はかかるでしょう。それまでずっと私たちは被災地の苦しみを忘れてはいけません"
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