信藤三雄がアートワークをデザインしたデビュー・アルバムだとか、ファクトリーのバンド、レイルウェイ・チルドレンに由来したバンド名などから「ミスチルはもともと渋谷系だった」という話があるが、実際、若き日の桜井和寿はスタイル・カウンシルが好きだったものの「ああいう音楽は日本ではウケない」と感じていた(その後、フリッパーズ・ギターの登場に衝撃を受ける)。まだ国民的スターになる以前に、『CDでーた』誌の企画でL⇔Rの黒沢健一とともに参加した「CD100選」では、黒沢ほどマニアックではないものの、洋楽のインディものもそこそこチョイスしていたという(残念ながら現物確認できず。情報お持ちの方、ご連絡ください)。 だが、「ミスチルは渋谷系だった」ことよりも、「ミスチルは渋谷系をやめた」ことの方が我々に多くの示唆を与えてくれるのではないか、と僕は思う。僕ら(サブカル)は、渡辺満里奈が小沢健二ではなく名倉潤を選