Over the years, I’ve collected some of the smartest-yet-funny software development quotes I have read. Here’s the current short list in no particular order. Oddly enough, there are thirteen of them and they all address the woes of programming. Feel free to add any like quotes in the comment section! “The first 90% of the code accounts for the first 90% of the development time. The remaining 10% of
iTunes Music Store の音楽が DRM free になったと, 同僚のアップルファンが喜んでいた. Windows 入りのノート PC が壊れて以来 iPod に音楽をとりこめないままの私は iTunes に腹が立っていたので, (VirtualBox + Windows XP 上の iTunes は音楽 CD のとりこみに失敗する.) つい "でも AAC が patented なので free とはいえませんね" などと毒づいてしまった. 大人気なかったと反省している. 前よりはよくなったのだから文句を言う筋合いじゃない. Linux ユーザに iPod は身に余る. Macbook がほしい... 奇しくも同じ日, Stewart Brand の "The Media Lab" が届いた. 1980 年代に出版された本で, 古本屋に注文したまま忘れていた. Stewa
この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "クラークの三法則" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2022年12月) クラークの三法則(クラークのさんほうそく)とは、SF作家アーサー・C・クラークが定義した以下の三つの法則のこと。 高名で年配の科学者が可能であると言った場合、その主張はほぼ間違いない。また不可能であると言った場合には、その主張はまず間違っている。 When a distinguished but elderly scientist states that something is possible, he is almost certainly righ
社会人になって最初に配属されたチームのコードはひどいもので, 私は同期の新入社員仲間 Y に "ひどいコードなんだ. あの先輩はろくでもない." と愚痴た. すると Y はぽつりとこう答えた. "<コードを憎んで人を憎まず> だよ." Y の言葉は私の座右の銘となった. コードと人格を切り離す. あたりまえの事に思えるけれど, いまより輪をかけて狭量だった私はひどいコードの書き手を見下していた. もちろん自分は棚にあげて. たかがコードで友情や信頼を失うのは愚かなことだ. Y はそう言うのだった. 件の先輩社員は寛大だった. 私は勢いと趣味に任せて彼のコードを書き換えていたが, 彼は文句もいわず, 雑用を押し付けてくることもなく, 他所からのメールやバグを黙々と片付けていた. 私が同じ立場なら, 間違いなく戦いの火蓋を切っていただろう. (実際, 翌年の私は毎日のように後輩と口論していた.
Aristotle Pagaltzis has written a very nice and concise XPath intro. Of all the various standards in the XML ecosystem, I like XPath best, most of all because it enables interaction with an XML document or message in a way that matches Postel’s law: It’s a great way to implement code that doesn’t break each time a minor change is made to an XML format. In fact I’d say it’s one the few very good re
インターネットの理念の真髄は、たぶんその逆説的でリベラルなところにある。 逆説的な例。 End-to-End、網はビットを愚直に運べ。 <愚直の方がIntelligenceを育む。> Best effort, No guarantee。 <保証しないことにより障害耐性が大きくなる。> そしてリベラルな例。 "We reject kings, presidents and voting. We believe in rough consensus and running code. " (我々は、君主、長、そして多数決も拒絶する。大まかな合意と動いているコードを信じるのみ。) -- David Clark "Internet is for everyone - but it won't be if Government restrict access to it, so
写真に興味を持つようになったのは、撮り手によって写真があまりにも違うことに気がついたときからだ。 風景でも物でもそうなのだけれど、とりわけ人物写真ではその違いが顕著になる。 同じ人物を撮ったとは思えないことさえあった。 試しに友だちとカメラを交換して撮ってみた。 結果はおなじだった。 私のカメラで撮った友だちの写真は、あくまでも彼女の写真であり、彼女のカメラで撮った私の写真は、どうやっても私が撮ったものにしか見えなかった。 撮り手によって、被写体は姿を変えるのだ。 それはどういうことなのだろう。 写真というのは、カメラが、言い換えれば機械が撮っているのではないのか? 撮り手というのは、シャッターを押しているだけなのではないのか? ひとの「まなざし」というのは、そこまで力を持つものなのだろうか。 そのときから、わたしは写真を「何が写っているか」ではなく、「だれが写したか」見るようになった。
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