横浜市は8月19日、2011年に開催する国際現代美術展「横浜トリエンナーレ2011」の開催概要と総合ディレクターを発表した。 横浜トリエンナーレは、2001年にスタートした3年おきに開催される現代美術の国際展覧会。資金難や会場の都合などで第2回展は2004年に開催されず、2005年の開催となった。第3回展は2008年に開催され、世界25カ国・地域から72人の作家が参加し、2008年9月13日~11月30日の79日間の会期中に30万人以上が来場した。 第4回展となる今回の総合ディレクターは、横浜美術館館長の逢坂恵理子さんに決定。共同ディレクターは今秋、総合ディレクターが指名して決定する。 来年は第1回展が開催された2001年から10年目にあたる節目の年。創造都市・横浜ならではの取組を国内外にアピールし、「横浜トリエンナーレ」を通じて、アジアにおける文化芸術活動の拠点としての横浜を世界に発信す
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武蔵野市議 川名ゆうじ blog 議会や市政のニュースや気になる情報を書いています。 誤字脱字はご容赦を。 ご意見はメールでお願いします。kawana●ba2.so-net.ne.jp まで (●を@に修正してください) 8月18日の市議会総務委員会で西部図書館跡に歴史資料館(仮称)を想定しているとの行政報告があった。西部図書館は、武蔵野プレイスが完成することから来年、2011年3月に図書館としては閉館予定。想定では今年度から民俗資料の選定を行いプレイスが完成する23年度後半から資料の搬入などを行うとしている。言い方は悪いかもしれないが、公文書の物置にしていいのか疑問だ。 行政報告によると、歴史資料館は、武蔵野市の歴史を将来に継承するために歴史的価値のある公文書、行政刊行物、古文書、民俗資料、埋蔵文化財などを適切に保存し、整理し、活用できる資料にするために必要であり、市が所有する歴史資料は
国の科学研究費補助金(科研費)で作成された研究報告書47年分が、限定的な閲覧しかできないうえ、コピーも部分的にしかできない状態にあることが19日、分かった。インターネット閲覧の対象外とされていることに加え、原本を保管する国立国会図書館が著作権法を理由に部分コピーしか認めていないためだ。年間2千億円にも上る多額の国費が投じられている科研費。文部科学省は「国民が報告書を読めないのでは意味がない」と改善策を探しているが、予算不足などもあって、なかなか見つからないのが実情だ。 科研費は、自然科学や社会科学などさまざまな研究を文科省などが数千万円単位で補助。研究者が成果について報告書を提出する。国民は3年分だけ国立情報学研究所のホームページで内容を閲覧、コピーできるが、平成19年度以前の報告書は閲覧対象外とされている。 原因は、インターネットの閲覧システムを作成した際、予算不足で過去の報告書を対象外
米国などで行われていた公立図書館のビジネス支援が、日本でも21世紀に入り大規模館を中心に広がってきた。図書館員、会社員、研究者等によりビジネス支援図書館推進協議会が設立され、シンポジウム開催など啓発活動が行われる一方、各地の図書館から具体的な成果が報告されるようになった。図書館の課題解決型サービスの1つとして期待されている。 ビジネスを公立図書館が支援する、ということを初めて聞かれると「?」となる方も多いのではないだろうか。公立図書館は、誰もが入館できて、利用目的を問われないこと、また、仕事がある人でも休日や夜間に利用できることから、親しみのある、間口の広い性格を持った公共施設である。また、図書館資料には、ビジネスに直接役立つ統計資料、ビジネス書等に加え、一見ビジネスとは関係ないと思われる地域資料、食品関係の本、デザイン関係の本等、広がりのある資料がそろっている。さらに、これらの資料を提供
ケン・ウィルバーとは何者かということをものすごく乱暴に言うと、「賢い宗教とは何か」ということを研究している人である。 現代は、賢い科学とアホな宗教の支配する時代である。今の科学は随分賢いが、昔の科学は、占星術や錬金術のようなアホな科学だった。科学はそこから随分発展したが、宗教はその時のアホなレベルで留まっている。 本当だったら、もっと賢い宗教が出て来るべきなのだが、アホな宗教が氾濫しているので、宗教はそもそも全部アホだと思う人が多くて、「賢い宗教」とは何かをみんなイメージできない。 「賢い宗教」とは科学的な宗教かと言うとそうではない。科学にもアホな科学と賢い科学があるし、そもそも科学とは宗教とは別のジャンルである。 ウィルバーは、この乱暴な話に出てくる「アホ」「賢い」とか「別のジャンル」ということを徹底的に研究した。 「アホ」とか「賢い」とかおおざっぱな言葉で言うと話がまとまらないので、「
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