『真田丸』の風俗考証を担当していただいている立正大学文学部史学科教授・佐多芳彦先生に、『真田丸』における衣裳や髪型などについてお話を伺いました。今回から6回シリーズでご紹介します。 1回目となる今回は、信繁の衣裳。信繁のふん装は、大坂にやって来てから“都会ふう”になったそうです。 Q.それまでの信繁のふん装は、どういうものだったのでしょうか? 『真田丸』でのふん装では、地方と中央の差をできるだけ表現していこうと決めていました。ですから中央は最先端、地方にいる国衆はクラシックなものになっています。 大坂に来た信繁は、秀吉の馬廻(うままわり)衆に命じられますが、自分の服装が周囲と違うことに気づいたでしょうね。この時代、秀吉の脇を固める武士たちの姿は皆、袖と胸に紐がない肩衣(かたぎぬ)姿に月代を剃っていましたから。 真田の郷や上杉の人質時代では、信繁のふだん着は小袖(こそで)に袴(はかま)という