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ブックマーク / number.bunshun.jp (114)

  • 力士と怪我の切っても切れない関係。慢性化する前に完治させる制度を!(西尾克洋)

    遠藤が、三役に昇進した。 騒動が続く大相撲で、久々にポジティブな大ニュースだったのではないだろうか。 三役昇進で追手風部屋伝統の「清水川」を襲名するのでは、と話題になったこともあったが、このまま遠藤で行くのだという。 遠藤の改名の話が出ていたのは2014年前後のことだ。 14勝1敗で十両を抜けて前頭上位に定着した頃、名の遠藤から別の四股名をということで様々な名前が候補に挙がっていた。しかし上位総当たりの地位で勝ち越しにあと一歩届かない場所が続き、一進一退を繰り返す中、2015年大阪場所での怪我が原因で低迷することになった。 ちなみに「遠藤」という名前が定着したことも、改名を見送った一因なのだという。 良いドラマも悪いドラマも共有するいわば遠回りによって、「遠藤」という名前は遠藤という力士を彩る個性に昇華することになったわけだ。 復活した遠藤は、幸運なケースだ。 ただ、現在の大相撲をながめ

    力士と怪我の切っても切れない関係。慢性化する前に完治させる制度を!(西尾克洋)
  • オシムと羽生直剛の師弟関係は今も。「出会えた奇跡が嬉しいし、怖い」(飯尾篤史)

    2017シーズン限りでプロサッカー選手としての生活を終えた羽生直剛氏。Jリーグ各クラブで活躍した彼のキャリアを語るうえで外せないのは、イビチャ・オシムの存在だ。 ジェフユナイテッド市原・千葉で見いだされ、「考えて走るサッカー」を体現したプレースタイルは、ジェフ時代、そして日本代表と多くのサッカーファンに知れ渡ることになった。 引退に寄せてのインタビューを敢行した際、なくてはならない恩師の存在について彼は「幸せなことだったのか、分からなくなってきた」と語っていた。その心とは――。 「お前はそのプレーで満足させられたのか?」 ――え、どういうことですか? 「偉大すぎて、自分もああなりたいと望んでもなれない、自分がちっぽけだということを思い知らされるだけだし(苦笑)、トレーニングひとつとっても、内容がすごく濃かったから、その後、どうしても物足りなさを覚えてしまって。もしオシムさんと出会っていな

    オシムと羽生直剛の師弟関係は今も。「出会えた奇跡が嬉しいし、怖い」(飯尾篤史)
  • 大仁田厚、7年ぶり7回目の引退!復帰までがお約束のプロレス人生。(堀江ガンツ)

    引退→復帰→引退……のサイクルを生きる大仁田。そのメンタルタフネスがあるからこそ、過酷なデスマッチがよく似合う。 いよいよ、10月31日後楽園ホールで大仁田厚の引退試合が行われる。 とは言え、これまで引退と復帰を繰り返してきた大仁田にとって、今回が7年ぶり7回目の引退。正直、「これが最後」と気で思っているファンは少ないだろう。 大仁田自身は「今度こそ当に引退」を強調しているが、3度目の正直の倍以上となる「7度目の正直」、6回も引退を撤回してるのに「プロレスラーに二言はない」と断言するなど、その発言は半ばネタ化している。 そもそも引退が「○年ぶり○回目」と、甲子園や紅白出場ばりの呼ばれ方をするのも大仁田ぐらいだろう。 これまで6度の引退をここであらためて振り返ってみると、まず1度目の引退は全日プロレス所属時代。1983年4月のヘクター・ゲレロ戦で左膝蓋骨粉砕骨折の重傷を負い、復帰後も精

    大仁田厚、7年ぶり7回目の引退!復帰までがお約束のプロレス人生。(堀江ガンツ)
  • ベイスターズ捕手陣の父親的存在。光山英和コーチの求心力、関西弁。(日比野恭三)

    得点が入れば筒香らとともに喜びをともにする。光山コーチ(中央)の果たす役割は、地味ながらとても大きい。 ベイスターズのチーム全体練習は、18時プレーボールであれば、たいてい14時ごろから始まる。 だが正午にはすでに、横浜スタジアムで汗を流す幾人かの選手がいる。主にキャッチャーの面々だ。座った状態からの二塁へのスローイングやワンバウンドのボールを前に落とすブロッキングなどは、彼らだけに求められる動き。精度を少しでも向上させるべく、全体練習の2時間も前から、試合開始の6時間も前から個別の練習時間が設けられている。 戸柱恭孝や嶺井博希、高城俊人ら、ベイスターズ捕手陣をつきっきりで見ているのは、バッテリーコーチの光山英和だ。戸柱が「家族より長い時間を過ごしている」と話すほど、彼らは朝から晩まで行動を共にし、各々の成長のため、チームの勝利のために練習に励み、そして語り合っている。 野茂英雄の球を受け

    ベイスターズ捕手陣の父親的存在。光山英和コーチの求心力、関西弁。(日比野恭三)
  • 日本ハム通訳に就任した野茂貴裕氏。父の背中に感じた「やり通せ」。(中村計)

    今季から日ハムの通訳に就いた野茂英雄氏の長男・貴裕氏(22歳)に現在の心境を聞いた。 インタビュー中、たびたび「う~ん……」と熟考しながら言葉を選ぶところなどは父親そっくりだった。そして、「あくまで裏方ですので」と控え目なところも。 男は黙って――。そんな職人気質な人間性がうかがえた。 ――立派な体格ですね。身長、体重を聞いてもいいですか。 174cm、113kgです。 ――野球のご経験は。 ちゃんとしたチームに入ってプレーしたのは、中学生から高校までです。小学校時代は父とキャッチボールとかはしましたけど、そこまで真面目にやろうとは思わなかったんです。でも小学校6年生ぐらいから少しずつ興味を持ち始めて。 ――やはり甲子園に憧れたとか。 いえ、小・中・高と都内のインターナショナルスクールに通っていて、そこのチームに入ったので、もともと高野連には加盟していないんです。対戦相手はもっぱら他のイ

    日本ハム通訳に就任した野茂貴裕氏。父の背中に感じた「やり通せ」。(中村計)
  • バレー新リーグ構想に企業の反応は?11月30日に男女各6チームは集まるか。(米虫紀子)

    「今、変わらなければ」という意気込みと危機感はひしひしと伝わってきた。 9月20日、日バレーボールリーグ機構(Vリーグ機構)は記者会見を行い、新リーグ「スーパーリーグ」構想を発表した。 Vリーグ機構の嶋岡健治会長は、こう決意を語った。 「今までのVリーグの、企業が主体となったいわば部活のようなありかたから脱却し、チーム自体が事業者となり、地域を巻き込み、ファンの方達を楽しませていく、海外のリーグや他の競技では当たり前ともいえる環境を、遅まきながら作っていくことを目指します」 Vリーグの前身である日リーグ創設50周年を迎えた今年、そうした構想にいたった経緯を、嶋岡会長はこう明かした。 「Vリーグが発足した1994年以後、3大大会(オリンピック、世界選手権、ワールドカップ)で日が上位の成績をおさめたのは、2010年世界選手権での女子3位、'12年ロンドン五輪での女子3位のみ。男子はオリン

    バレー新リーグ構想に企業の反応は?11月30日に男女各6チームは集まるか。(米虫紀子)
  • DeNAがついに越えたCSの「Line」。ラミレス監督の芯を見た言葉の数々。(日比野恭三)

    現役時代は明るいキャラクターのイメージだったラミレス監督だが、就任1年目にして指揮官の貫録と風格を漂わせている。 9月19日、横浜DeNAベイスターズが球団史上初のクライマックスシリーズ(CS)進出を決めた。 Aクラス入りといえば聞こえはいいが、「6チーム中3位になっただけ」という冷めた見方があるのも事実だ。それでも、ベイスターズの歩んできた過去を思えば、球団やファンが感慨にふけるのは当然のことだろう。 21世紀のベイスターズは、昨季までの15年間で853勝1236敗。積み重ねた借金は383(年平均25以上)に上る。DeNAが親会社になった初年度の2012年も46勝85敗、勝率.351という厳しい船出だった。 札束を積んでFA補強に打って出たわけではない。外国人選手の獲得には積極的だったが、チーム状況を激変させるほどのインパクトがあったわけでもなかった。戦力、選手層に大きな変化がない中でこ

    DeNAがついに越えたCSの「Line」。ラミレス監督の芯を見た言葉の数々。(日比野恭三)
  • ノアファンが否定し続ける潮崎豪。そんな男が握る、沈みゆく団体の命運。(井上崇宏)

    共通の敵を作り、大衆を団結させよ。 そして大衆を熱狂させたまま置け。考える間を与えるな。 かの独裁者、アドルフ・ヒトラーによる大衆扇動術の一端である。 それまで新日プロレスを主戦場としていた鈴木みのる率いる鈴木軍が、プロレスリング・ノアの最大の敵として姿を現したのは2015年初頭のこと。メンバー全員がまとめて他団体のリングに闘いの場を移すという前代未聞の行動は、当時、プロレス界の話題をさらった。 この鈴木軍の行動は、経営危機が囁かれていたノアにとっては実は渡りに船だったはずだ。なぜなら、開戦まもなく鈴木軍に全タイトルを一気に奪われもしたことで団体存亡の危機を煽り、その闘争はやがて熱狂へと昇華するに違いなかったからだ。 つまり共通の敵を得たことで、熱狂的なノアファンたちと団結をするのだ。 実際にベルト奪還に燃えるノア勢と、それをありとあらゆる手段で弾きかえす鈴木軍の抗争は、ノアマットに多く

    ノアファンが否定し続ける潮崎豪。そんな男が握る、沈みゆく団体の命運。(井上崇宏)
  • 野球にまつわる有象無象が集う奇祭。東京野球ブックフェア、知ってます?(村瀬秀信)

    プロ野球開幕を直前に控えたこの季節。今年もまた年に一度の野球の祭典がやってまいりました。 3月13日(日)。世田谷ものづくり学校で開催される「東京野球ブックフェア2016」。 皆様はこのイベントをもうご存知でしょうか。 毎年秋にビッグサイトの方で大々的にやっているアレとはちょっと違い、過去から現在、古今東西の“野球”が集まるという野球のお祭り。 2011年10月に、第1回が開催された時は、東京・月島の老人介護施設のフリースペースという、ある意味野球とは最も離れたアナーキーな場所でしたが、初回から大盛況となり、毎年毎年着実に進化を重ね、今では「広島野球ブックフェア」が行われるなど、文系野球界の一大イベントに成長しました。 あの著者さんの最新を手渡しで買える! びっくりするほど貴重な古いお宝野球が手に入ることもある! トークイベントがマニアックすぎる! ベイスたんのカネシゲ先生に似顔

    野球にまつわる有象無象が集う奇祭。東京野球ブックフェア、知ってます?(村瀬秀信)
  • 横浜スタジアム買収で広がる「夢」。発表された“未来予想図”がスゴイ!(村瀬秀信)

    ライトスタンドがないという、あまりに斬新な構造。でも街を歩く人にスタジアム内が見えるのは、結構いいかも? 私どもには夢があります――。 世間がセンテンススプリングでざわつく木曜日。横浜DeNAベイスターズにも春が来た。昨年の11月24日からはじめた横浜スタジアムに対する株式公開買付けを完了したことを会見にて発表。横浜DeNAベイスターズ球団社長は、キング牧師みたいに「I have a dream」とやった。 今回のTOBで71.12%の株式を新たに取得したことにより、株式会社横浜スタジアムは、今月28日から株式会社横浜DeNAベイスターズの子会社となる。長年の悲願だった球団と球場の一体経営が実現し、構造の大変革を成し遂げたことで健全な経営への道筋が整うという「最大の補強」を成し得たわけだが、会見の最中、池田純球団社長が持ち出した一枚のパネルに描かれた“横浜スタジアムの未来予想図”というもの

    横浜スタジアム買収で広がる「夢」。発表された“未来予想図”がスゴイ!(村瀬秀信)
    Santamaria_morishi
    Santamaria_morishi 2016/01/24
    すべてが叶うとは到底思ってはいない が、いくつかは間違いなく実現してくれるとはおもってる
  • Not Found - Number Web - スポーツ総合雑誌ナンバー

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  • <ベイスターズ社長の独り言>第12回「横浜スタジアムの友好的TOB」 - プロ野球 - Number Web - ナンバー

    ベイスターズは、横浜スタジアム「コミュニティボールパーク」化構想に基づいて、魅力ある球場づくりを推進している。 11月24日、ベイスターズは株式会社横浜スタジアムを買収すべく、友好的TOB(株式公開買付け)をスタートしました。来年1月20日の期限までに50%超の株式を取得することが成立の条件です。 球団と球場の「一体経営」は、すでに主流となっているMLBなどの事例を見ても、ハード・ソフトの両面でファンサービスの自由度を大幅に拡充することができ、経営を効率化させるうえで極めて重要なファクターとなっているのは明らかです。 この12月で、私たちが球界に参入してから5年目に入りました。「横浜に根ざすこと」を第一に様々な取り組みを続けてきた結果、'15年シーズンの観客動員は180万人を超え、横浜スタジアムの稼働率は実に約90%に達しました。これはMLBを含めてもトップクラスの数字ですが、それでも今期

    <ベイスターズ社長の独り言>第12回「横浜スタジアムの友好的TOB」 - プロ野球 - Number Web - ナンバー
  • DeNAの第二幕はどこへ向かうのか?球団社長に来季戦略を直撃!(村瀬秀信)

    秋深く、お祭り男の去ったあと。束の間の寂寞は次章へのプロローグか。 ソフトバンクホークスの圧倒的な強さでの日一に、もののあはれを感じつつ、呆けてしまっているこの秋。 こてんぱんにやられたセ・リーグの、そのまた最下位に沈んだ横浜DeNAベイスターズは、チームの看板を支え続けた中畑キヨシが去り、新監督にA・ラミレスが就任。ひとつの時代が終わり、新たな時代の幕開けとなった。 しかし、前半戦首位からの最下位着地というこれまた新しい裏切りの手口に、改めて「最後の最後まで調子に乗ってはいけない」という誓いを強くするシーズンであったが、このオフはドラフトで今永、熊原と即戦力即ローテ入りも見込める投手2人を獲得し、さらにはあのハマスタを友好的TOBで買収するという新聞報道が出た。毎年オフになれば「おぉ、あの野口がFAで!」なんて、それなりにバラ色の未来は輝いていたのではあるが……最近の希望はまったくの異

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  • デムーロとルメールが語る日本競馬。いま評価するライバルジョッキーは?(Number編集部)

    「日のジョッキーはみんな上手いよね!」 酒が進みはじめると、クリストフが口火を切ってライバルジョッキーのことを語りはじめた。 今年2月の免許試験に合格し、ミルコ・デムーロとクリストフ・ルメールは晴れてJRA所属ジョッキーとなった。 それから8カ月が経過し、ふたりとも日の競馬にすっかり馴染んでいる。リーディングでも3月からの騎乗ながらミルコは3位、クリストフは7位(10月25日時点)と、その力を存分に発揮している。 Number888号の競馬特集では、そんな彼らに対談で日の競馬の現状と未来を語ってもらおうと、京都のとある割烹の座敷で酒を酌み交わす、という機会を用意したのだ。 「そうそう、(武)ユタカさんだけじゃないよね。トップジョッキーじゃなくても上手い人はたくさんいるよ」 ミルコも口が滑らかになってきた。 日の騎手育成に足りないものとは。 ふたりが最近気になっている騎手は、田辺裕信

    デムーロとルメールが語る日本競馬。いま評価するライバルジョッキーは?(Number編集部)
  • キタサンブラック菊花賞制し7戦5勝。北島三郎、馬主歴53年目のGI初戴冠。(島田明宏)

    「菊花賞は強い馬が勝つ」という格言のとおりだった。 クラシック三冠を締めくくる第76回菊花賞(10月25日、京都芝外回り3000m、3歳GI)を制したのは、メンバー中ただ1頭重賞を2勝していたキタサンブラック(牡、父ブラックタイド、栗東・清水久詞厩舎)だった。オーナーは歌手の北島三郎さん(名義は大野商事)。レース後、北島さんは「GIを勝ったら歌っちゃうよ」と話していた“公約”どおり大ヒット曲の『まつり』を歌い、熱戦に沸いたスタンドをさらに盛り上げた。 スタートから混戦。スタンド前で15馬身以上の縦長に。 晴天のもと、良馬場のコンディションでゲートがあいた。 4番人気のスティーグリッツが大きく出遅れたが、ほかの17頭はほぼ横並びのスタートを切った。 まず、武豊のレッドソロモンが内のキタサンブラックをかわしてハナに立った。17番枠から出た1番人気のリアファルと18番枠のスピリッツミノルがこれら

    キタサンブラック菊花賞制し7戦5勝。北島三郎、馬主歴53年目のGI初戴冠。(島田明宏)
  • <ベイスターズ社長の独り言>第10回「本当の強さを手に入れるには」 - プロ野球 - Number Web - スポーツ総合雑誌ナンバー公式サイト

    DeNAの初代監督を4年務めた中畑監督は、続投要請を受けていたが、成績不振の責任を取り辞任を表明した。 この原稿が掲載される頃には監督人事を含め、様々な方向性が決まっているでしょう。しかし今日(9月29日)現在、球団としては一貫して中畑監督に続投要請をしていますが返答は保留になっており、監督によってコーチ人事に着手するため、現時点では来季の体制について何一つ最終決定していないのが実情です。 ベイスターズは後半戦で失速し、最下位争いをすることになりました。続投要請が早すぎたとの声もありますが、元々結果次第で賛否両論あることは覚悟していました。それ以上に、チームが「成熟」し、当の強さを身につけることが大切であり、そのためには現体制を信頼し、今年そして来年へと強さを積み上げていくことを託す覚悟で早期の続投要請に踏み切りました。選手たちが見るべき方向を一つにし、チームの士気を高める意図もありまし

    <ベイスターズ社長の独り言>第10回「本当の強さを手に入れるには」 - プロ野球 - Number Web - スポーツ総合雑誌ナンバー公式サイト
  • “伝説の南ア戦”現地の観客席――。勝利を見届けたNumberデスクの回想。(Number編集部)

    試合終了後、携帯電話に次々とメールが舞い込んできた。 「一生この話で酒が飲めるな」 「明日からラグビー始めるわ」 「泣いた?」 9月19日、英国南部ブライトンのコミュニティスタジアムで“あの試合”を目撃したばかりの筆者の元に、日から感動と羨望の入り混じったテキストがひっきりなしに届く。 それらすべてをきちんと確認できたのは試合が終わって数分後だった。というのもその間、跳び上がったり抱きついたりを繰り返したために、当の携帯電話が上着のポケットから飛び出して落下し、行方をくらませていたからだ。 みな一様に昂奮して立ちあがっていた。 試合の詳細についてはNumber887号に大友信彦さんが熱いマッチレポートを寄せている。自分のことを思い返せば、最後の数分間は拳を握りしめて言葉にならない叫びをあげるばかりだった。いや、呼吸をするのを忘れるほど息を呑んでいたかもしれない。とにかくグラウンド上で展開

    “伝説の南ア戦”現地の観客席――。勝利を見届けたNumberデスクの回想。(Number編集部)
  • 山本昌50歳、ついに引退決断の時。「ラジコンはもちろん再開するよ」(田口元義)

    中日に押し寄せる年波。それが今季、チームの功労者たちの引退、退団という顕著な形となって現れた。 選手生活に別れを告げた44歳の谷繁元信兼任監督をはじめ、43歳の和田一浩、41歳の小笠原道大の2000安打達成者。4度の2けた勝利を記録した34歳の朝倉健太も引退を決断し、常勝期に絶対エースだった40歳の川上憲伸の退団も決定している。 だが、なによりも球界を驚かせたのが、山昌が引退を決断したことだ。 山昌は9月25日に更新された自身のブログに、<若返りを推進しているドラゴンズの現状を目の当たりにして、ボクが残ったらダメだと強く感じ、引退を決めました>と、その心中を綴っている。 通算219勝。41歳1カ月でのノーヒットノーラン、49歳0カ月での勝利、そして、32年にもわたる現役生活……。球界のレジェンドは数々の最年長記録を打ち立てた。 今年で50歳。節目の年齢で引退、と決断するのもありではあ

    山本昌50歳、ついに引退決断の時。「ラジコンはもちろん再開するよ」(田口元義)
  • ランディ・バースが明かす、日本で戦った最高の投手とは?(鷲田康)

    阪神タイガースが球団史上初めて日一の栄冠を手にした1985年。それから30年を経た今も、あのシーズンを改めて振り返ったノンフィクションは、意外なことに存在しなかった。球団創設80周年を迎えた今年、吉田義男監督、主力選手からウグイス嬢にまで取材した『1985 猛虎がひとつになった年』(鷲田康・著)が9月17日に発売される。出版を記念して、には盛り込めなかった話をウェブの短期集中連載でご紹介しよう。第1回目は、あのランディ・バースのインタビュー<前編>だ。 ランディ・バース、掛布雅之、岡田彰布に代打・川藤幸三……。いまテレビで流れるNTTドコモのCMではないが、阪神球団史上ただ1度の日一に輝いた1985年のシーズンを象徴するのは、史上最強とも言われたこのクリーンアップトリオだった。 その核となったのが最強の助っ人、ランディ・バース。不動の3番打者として、この年54塁打、打率3割5分、1

    ランディ・バースが明かす、日本で戦った最高の投手とは?(鷲田康)
  • 横浜ファンが作ったデスマッチ団体。FREEDOMSの夢は“聖地”ハマスタ。(村瀬秀信)

    男の意地と意地。魂と魂を削り合う音がした。 束になった蛍光灯が脳天を叩き割り、額から鮮血が飛び散った。 剃刀やノコギリが刃を光らせる十字架のボードに身体を叩きつけられ、ガラスの塊が宙を舞う。 そうかと思えば、キャンバスにばらまかれた画鋲の上に、男気を見せるとばかりに自ら体を叩きつける。キャンバスはめくれ、高所からダイブし、奈落へ落ちていく。さらにルアーだ! 剣山だ! サボテンだ! 次々と現れるアイテムが全身を切り刻み、破片を肉体に喰い込ませながら血まみれの男が雄叫びを上げると、ホールの観客から悲鳴にも似た声にならない歓声が湧いた。 次の瞬間に何が起こるのか、いや現時点で何が起こっているのかすらわからない。ただ、これまでに感じたことのない、どうしようもない衝動に魂が突き動かされ、気が付いた時には、声は涸れ、涙を流していた。 これが、デスマッチなのか――。 はじめての衝撃に打ち震えたまま、彼の

    横浜ファンが作ったデスマッチ団体。FREEDOMSの夢は“聖地”ハマスタ。(村瀬秀信)