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ブックマーク / sugitasyunsuke.hatenablog.com (12)

  • 【座談会】現代アートの病理と救済――コミュニティアート、ネットカルチャー、ポストヒューマン - sugitasyunsukeの日記

    現代アートをめぐって、下記のメンバーで座談会をしました。 テーマは、現代アート、地域系アートプロジェクト、ネットカルチャー、floating view、カオス*ラウンジ、拡張現実、AR詩、pixiv、東日大震災と喪の問題、郊外論ブーム、アートと金銭問題、倫理と責任……。そして現代アートに込める希望・祈り・愛。 ぜひ、ごらんください。 【参加者】 藤田直哉:SF・文芸評論家。http://d.hatena.ne.jp/naoya_fujita/ ni_ka:詩人。モニタ詩やAR詩を発表。http://yaplog.jp/tipotipo/ 佐々木友輔:映像作家。企画展「floating view 」主催。http://www.geocities.jp/qspds996/ 杉田俊介:現在、主夫+パートケアワーカー+批評家。 ■ 地域系アートプロジェクトの現在 杉田俊介(以下杉田):日は、現

    【座談会】現代アートの病理と救済――コミュニティアート、ネットカルチャー、ポストヒューマン - sugitasyunsukeの日記
  • 『フリーターズフリー』02 - sugitasyunsukeの日記

    長らくお待たせしましたが『フリーターズフリー』02、ついに発売です。責任編集・栗田隆子、メインは「女性の労働と生活」。HPも更新しました。*1予約注文可能です。一般の書店には12月1日頃、出回る予定です。1300円+税。初版3500部。結果として、1960年代後半〜2000年代の様々な女性運動の歴史をコネクトし、過去の「なかったことにされてきた」活動や声を手探りで掘り起こし、「現在の必要」を見つめることで「明日の希望」を切り開く――そういう一冊となりました。そして読者の皆さんとの出遇いと交わりと通して、未曾有の地平を未来にひらくポテンシャルを懐胎していると思います。何より、楽しい。かわいい。ぜひお手に取ってみて下さい。売り方(届け方)もいくつかのアイディアを工夫していきます。 フリーターズフリー Vol.2 ■ 巻頭セッション 労働と家族を問う 国澤静子×白崎朝子×村上潔×生田武志×大澤信

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  • バックラッシュ、とすら呼べないような - sugitasyunsukeの日記

    赤木智弘さんや白井勝美さんなどの経済弱者系の当事者を読んでいると、女性に対する物の見方にぎょっとさせられることがある。バックラッシュというのですらないような、不気味なほどの保守的な女性観。労働運動や反貧困運動をしている人からも、あまり表立っては批判されないようだ。ぼくにとっては、経済的な貧困の話と性の話は、切り離せないものなので、素朴に不思議に思う。もっとも新左翼にせよ青い芝にせよ、男性の左翼運動の歴史は性暴力の歴史なのかもしれないが……(この辺は『フリーター論争2.0』の4章などでかなりソリッドな議論がされています)。女性の権利運動・リブ・フェミ歴史の蓄積があり、一般の男性には広まらなかったとは言えメンズリブや男性学、あるいはクィアなどの歴史もあるのに。そういう問題を考える余裕がないから経済弱者なのだ、動物的生=性を送らざるをえないのだ、ということなのかもしれないけど、いくらなんでも

    バックラッシュ、とすら呼べないような - sugitasyunsukeの日記
  • 性暴力化する社会 - sugitasyunsukeの日記

    引き続き、子どもポルノについて。 森岡正博氏の愚直な提言は、考えるに値する。 《それは社会のロリコン化についてである。現在の日テレビや雑誌やインターネットには、女の子たちを性的な視線で眺め回すような商品がたくさん出回っていて、数多くの大人がそれを購買し、消費して楽しんでいる。呼応するかのように、12歳までの子どもへの性犯罪もここ数年増加傾向にある(警察庁調べ)。その点に目をつむったまま、小児性愛者だけをしたり顔で批判しても、それほど説得力はないのではないか。 速水由紀子は、ロリコンは日の「国民病」になったと指摘している。これが誰の目にも明らかになったのは、モーニング娘。が話題沸騰したころからであろう。彼女たちへの視線がきわめて「性的」なものであり、12歳前後の女の子のイメージがいかにして性的商品として堂々と販売されたかについては拙著『感じない男』でも詳述したとおりである。》 『感じな

    TZK
    TZK 2008/03/04
  • 労働運動/生存運動 - sugitasyunsukeの日記

    労働よりも生存(生命)の価値は大きく、重い。現在の労働運動のポイントは、このシンプルなひと言にある。われわれが最も剥奪されているのは、雇用機会や賃金だけではなく、生存/生命それ自体だから。 「生きることはよい。生存を貶めるな!」(自由と生存のメーデー07)。 ベーシックインカムは労働と生存を切り離し、後者のために生存給付を無償で保障する制度のアイディアのことだし、フリーターユニオンふくおか(代表・小野俊彦)は、労働組合と同時に生存組合を名乗り、デモや団体交渉はもちろん、「不安定な人々が集まってお互いのサバイバルを助け合う」「組合員相互の生存を地味に支えあうために米やタバコなどを供給しあ」う、などの活動をプログラムに組み込んでいる。 労働の争いは、すでに生存の争い、生存運動へとステージが上がっている(最初からそうかもしれないが)。 そのポテンシャルを、われわれもまだ、十分に出し切っていない。

    労働運動/生存運動 - sugitasyunsukeの日記
  • 労働運動/精神障害・メンヘル系 - sugitasyunsukeの日記

    下記のイベントだった。 http://d.hatena.ne.jp/sugitasyunsuke/20070830/p1 「こわれ者の祭典」の月乃光司さんが、mixiで 《最近、プレカリアート運動と「心の健康問題」を持つ人々の持つべき考え方について、 相反する部分があるような気がしてきました》云々と書いていて、この労働運動/精神障害・メンヘル系のずれや「相反する部分」のことはとても大事ではないかと以前から思っていたので、その辺りを月乃さんには聞いてみた。 月乃さんは最後に「自分が労働問題に積極的に関わることは一生ないとわかった」とはっきり言っていた。今日皆さんと話していてそのことがわかった、と。 「怒らないこと、闘わないこと、論争しないこと、 現状をなにがなんでも感謝すること」 ということが、アルコール依存症者が再飲酒しないポイントであるらしく、それは月乃さん自身が精神病院を退院してからず

    労働運動/精神障害・メンヘル系 - sugitasyunsukeの日記
  • 東浩紀『ゲーム的リアリズムの誕生』のクリティカル・ポイント - sugitasyunsukeの日記

    ゲーム的リアリズムの誕生』(二〇〇七年)の「付録B」の「萌えの手前、不能性に止まること――『AIR』について」に心を動かされた。もともと、共著『美少女ゲームの臨界点』(二〇〇四年)に収録されたものだという。そちらの論集は僕の手元にはない。 ゲーム的リアリズムの誕生~動物化するポストモダン2 (講談社現代新書) 作者:東 浩紀講談社Amazonゲーム的リアリズムの誕生』に付された短いこの「付録」は、おそらく、前作『動物化するポストモダン』(二〇〇一年)ばかりか、作『ゲーム的リアリズムの誕生』の中の一つの死角をも、内側からい破るように自己批評している。そのように感じられた。そこに心を動かされた。 東浩紀はそのオタク論を展開する場合に、しばしばエロゲー/美少女ゲームについて論じてきた。にもかかわらず、エロゲーのポルノ的な側面、あるいは性暴力的な側面には積極的に触れようとはしてこなかった

  • 宇野常寛「ゼロ年代の想像力」を読んでみた。 - sugitasyunsukeの日記

    宇野常寛「ゼロ年代の想像力」(『SFマガジン』07年7月号)を立ち読みした。全然ダメだろう。90年代の想像力は「ひきこもり」系「セカイ」系で『エヴァ』『ハルヒ』、00年代の想像力は「サバイブ」系「決断主義」で『コードギアス』『デスノート』、と。東浩紀のオタク論は前者に属し「古い」、後者の想像力が「新しい」。――こんなの、ただのマッピングに過ぎない。しかもかつて例えば磯田光一が左翼(共産党系)/サヨク(新左翼)を分離=切断した時の社会的な問題提起の感覚さえない。わずか10年の世代感覚の差異をちまちま論じ、後者を絶対化し前者を叩く。「コップの中の差異」以下の、この時間的空間的な狭さは何だろう。宇野は東には00年代的なサバイブの感覚がない、と難詰する。しかし、例えば最初期の東浩紀のソルジェニーツィン論やデリダ論は、「生きのびようとする戦略や意志の全く通じないスターリニズム的な世界の中で、生きるこ

    宇野常寛「ゼロ年代の想像力」を読んでみた。 - sugitasyunsukeの日記
  • ゲーム的メタリアルと労働のメタリアル - sugitasyunsukeの日記

    東浩紀は二〇〇七年に刊行された『ゲーム的リアリズムの誕生』において、『ALL YOU NEED IS KILL』『九十九十九』『ひぐらしのなく頃に』『時をかける少女』など、登場人物が人生のリセットとリプレイを繰り返すタイプの小説・アニメの形式に「ゲーム的リアリズム」を見出そうとした。 よく知られているように大塚英志は、様々な著書の中で、自然主義リアリズム/まんが・アニメ的リアリズムを理論的に区別している。日の伝統的な自然主義リアリズムは、自然・風景・心理などを客観的に、そのまま模写しようとする。これに対し、「まんが・アニメ的リアリズム」は、まんが・アニメの中に登場するような「キャラクター」(宇宙人や超能力者や未来人)を写し取り、それを小説化しようとした。そしてそこにこそ自分たちのリアルがあると見なした。まんが・アニメ的リアリズムを代表するのはライトノベルであり、大塚はその感覚の原型をたと

  • 中村珍『チェリオ』にグッときた - sugitasyunsukeの日記

    ヤングジャンプ(07/5/24号)が「めざせ!働王」という特集を組んでいる。 プロレタリアマンガ?のポテンシャルにはすさまじいものがあるはずだってずっと思っていて。 友人から薦められて中村珍さん(21歳女性)の『チェリオ』という読切マンガを読んだ。かなりグッときた。 28歳フリーター男性の話。コンビニ夜勤とハンバーガーチェーン店バイトかけもち。 「頑張ったら報われる」ことは嘘だってわかっていて、「頑張ったって報われる事はない/ただ暮らしていられるだけ」なのだけれど、「それにスネたら不意に負けるだけ」だから(この世の何かに当に負けてしまうから)、なお「頑張る」。 自己責任論としての「もっと頑張れるはずだ」じゃない。「頑張る」の意味がチューンアップされている。 このぎりぎりの感覚から出発して、純粋被害者として破壊願望に身をゆだねるのでもなく、しかし自分の鏡像に「お疲れ」と言うだけでもなく—

    中村珍『チェリオ』にグッときた - sugitasyunsukeの日記
    TZK
    TZK 2007/05/28
  • いちヘルパーの小規模な日常 - 靫(うつぼ)公園・大阪城公園*1での行政代執行(=野宿者の強制排除)に関して

    ①靫(うつぼ)公園・大阪城公園*1での行政代執行(=野宿者の強制排除)に関して、生田武志さんのウェブに経過報告とコメントがある。自分に言いうることは何もないので黙ってましたが、皆さんも下記を熟読してみてはいかがでしょうか。 http://www1.odn.ne.jp/~cex38710/thesedays8.htm 靫(うつぼ)公園の行政代執行には前夜から執行終了まで現場にいた。様々なことがあったが、その様子については釜ヶ崎パトロールの会・ブログなどで見ることができる。 また、これはまったく報道されていないが、両公園の行政代執行と同時刻に、野宿者ネットワークの関わっている西成公園で、市職員70名を動員した抜き打ち工事が始まっていた。さらに、扇町公園のテント4張りを撤去し、抗議行動に参加していた西梅田公園の野宿者のテント1張りを撤去していた。今までなかった大阪市側の同時展開作戦。今後、野宿者

    いちヘルパーの小規模な日常 - 靫(うつぼ)公園・大阪城公園*1での行政代執行(=野宿者の強制排除)に関して
  • フリーターに関する20のテーゼ - sugitasyunsukeの日記

    【1】日型のフリーター労働者は、ある種の「階層」である。 【2】1980年頃から、国際的に若年不安定労働層が大量に生み出され、今も増加し続けている。 日型フリーターは、働きながら潜在的には永続的な失業状態にある。フリーター/ニートひきこもり/不登校者/野宿者…は、社会構造上はごく近いポジションにある。フリーターの数は、資と国家の流れに従う限り、今後も確実に増え続ける。この流れは、放っておいてはい止められない。 【3】若年労働者は今後間違いなく、一部の「勝ち組」と大多数の「負け組」へと二極化してゆく。 それだけではない。フリーターの内側にも「勝ち組」と「負け組」が分岐する。資・多国籍企業・国家の側は、意図的にこの二極化の流れを推し進めている。 【4】フリーターの一定部分は、このままでは野宿生活者化するだろう。 現時点でフリーターが野宿生活に「転落」せずに済むのは、その多くが自分の

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