先日、哲学者の梅原猛さんに会った。 京都駅からタクシーに乗り、さらに木々の中の石段を5分ほど登ったところにある、 風情あるご自宅を訪ねた。 梅原さんと会うことになったきっかけは、『神々の流竄(るざん)』を読んだことだ。 30年以上前に書かれた本で、なぜ伊勢神宮ができ、なぜ出雲神話が誕生し、 なぜ出雲が舞台なのか、そして、これらを操る影の存在は誰か--。 古代日本のミステリーを梅原さん独自の視点でひもといている。 僕は『中央公論』誌で、「天皇」について連載している。 実は連載から1年が過ぎて、こんな面白い本があるのか、ということに遅ればせながら 気がついたのだ。 梅原さんの本を読んで、古代史とは、限られた史料から広がる「イマジネーション」の 世界だ、と改めて感じた。 例えば『古事記』と『日本書紀』だ。いずれも天武天皇の命によって編纂された。 それなのに、なぜ事実に違いがあるのか。 さらに『日