夏目漱石が松山時代に知り合った俳人、村上霽月(せいげつ、1869~1946)にあてた1枚のはがきが見つかった。インターネットのオークションに出品されていた。漱石全集には未収録のはがきで、漱石の創作の過程がうかがえる俳句が2句添えられていた。 伊豆で漱石が大量吐血した「修善寺の大患」から約2カ月後、1910(明治43)年11月3日の消印。漱石の住所は療養先の胃腸病院と記されている。宛名は霽月の本名、村上半太郎。正岡子規を通じて漱石と親交があった。 「病中は度々御見舞難有(ありがたく)候 漸々(ぜんぜん)快復につき御安心可被下(くださるべく)候」とあり、見舞いの礼状とわかる。「今日は天長節に候」という文に続いて、「菊の雨聞いて閑(かん)ある病(やまい)哉」「菊の三日雨と変るや昨夕(ゆうべ)より」と2句の俳句が続く。 同月8日付の東京朝日新聞に掲… こちらは有料会員限定記事です。有料会員になると