技術決定論、あるいは技術変化を外生変数としてカッコにくくる立場から脱却し、「問題の切り分け」を行うためには、「技術選択・技術変化の政治経済学」とでも呼ぶべきものが必要となるが、それは60年代の日本においてはまだ望むべくもなかった。 マルクス主義の陣営においては、素朴な技術決定論への批判は、60年代以降の新左翼的ネオマルクス主義の勃興とともに、70年代以降本格的に起こってくる。日本においては戦後初期の武谷三男、星野芳郎らの技術論を継承しつつ、工場現場での技術者としての実践を踏まえた中岡哲郎らの産業技術論が出現し、熟練の解体についての疎外論的な議論を展開した。合衆国では、工場労働者としての経験を踏まえたハリー・ブレイヴァマンの『労働と独占資本』が上梓され、それを受けてラディカル・エコノミストらによる生産過程分析が盛んとなり、スティーヴン・マーグリンやボウルズ&ギンタスらの、技術選択をめぐる階級