タグ

ブックマーク / hibi.hatenadiary.jp (9)

  • センター試験後継の新テストに「国語」の記述式問題を導入したときに起こる惨状 - 日比嘉高研究室

    ※ 最初に大事なお断りです。下記の記述は、現在公開されている情報と、中高・予備校・大学短大の試験現場についての知見を総合して、日比が予測的に書いたものです。個人の予測ですから、当然外れたり勘違いがありえます。また採点現場の事情について触れたところがありますが、いかなる大学の個別的事情も公開しているものではありません。あくまで「国語の採点」の最大公約数的実態と日比が考えるところを述べたものです。誤解なきよう、お願いいたします。 以下長文です。目次を示しておきます。結論だけ知りたい方は、Ⅲに飛んで下さい。私が当に言いたいことは、実はⅢだけです。 Ⅰ 最初の確認 確認A 同じ「国語」でもセンターとは出題の形式が大きく違う可能性 確認B 国語の採点には「ゆれ」がつきもの 確認C 入試日程の大枠は現在と大きく変わらない Ⅱ 「記述式」導入でどうなる? 1)大学の採点担当者は寝られるのか 2)一人の

    センター試験後継の新テストに「国語」の記述式問題を導入したときに起こる惨状 - 日比嘉高研究室
  • 文科省の文系学部軽視は「誤解」なのだろうか 鈴木寛氏の記事を起点に考える(下) - 日比嘉高研究室

    (上)よりつづく 資料・出典・リンク集 4.科研費は増額しているのか 人社系の科研費シェアを調べてみた 文科省は文系学部を軽視していない、と鈴木寛文部科学大臣補佐官は主張しますが、その根拠の一つは科研費の増額です。 科学研究費補助金について言えば、科研費の配分を2010年度と14年度で比較すると、人文社会科学系の採択数は17.4%、配分額は10.7%増加しています。補助金全体の人文・社会科学系分野のシェアとしても、平成16年(国立大学の法人化時)と比して採択件数、配分額ともにそれぞれ1.4%増で、ここでも人文・社会科学系分野を軽視しているというエビデンスは全くありません。 検証してみます。まず、引用の前段。科研費は全体において採択数、配分額ともに増加していますから、採択数および配分額の増加を文系重視の証拠としてあげても、不十分でしょう。 科研費全体の予算額の推移と、採択件数の推移は以下の通

    文科省の文系学部軽視は「誤解」なのだろうか 鈴木寛氏の記事を起点に考える(下) - 日比嘉高研究室
  • 文科省の文系学部軽視は「誤解」なのだろうか 鈴木寛氏の記事を起点に考える(上) - 日比嘉高研究室

    (下)はこちら 資料・出典・リンク集 はじめに 最近、いくつかの記事やら情報を見て思うのですが、文系学部大学院の廃止・転換問題について、文科省は少し軟化姿勢を見せているようです。 下村文部科学大臣は『日経済新聞』(2015年8月10日)のインタビューで「文科省は国立大学に人社系が不要と言っているわけではないし、軽視もしていない。すぐに役立つ実学のみを重視しろとも言っていない」とか、「廃止」は教員養成系学部の「新課程」(教員免許取得を義務づけていない課程。いわゆる「ゼロ免課程」)だけなのだと述べています。また、先日批判の声明を出した日学術会議に対する文科省のレスポンスの報告が、私のところもメールで転送されて回ってきましたが、そこでも同趣旨のことが書かれていました。 そして8月17日に、鈴木寛文部科学大臣補佐官によるDIAMOND Onlineの記事「「大学に文系は要らない」は当か?下村

    文科省の文系学部軽視は「誤解」なのだろうか 鈴木寛氏の記事を起点に考える(上) - 日比嘉高研究室
  • その「仕事」を解除せよ――遊びをせんとや生まれけむ - 日比嘉高研究室

    野球、相撲、地図 愚息トーゴ氏はもうすぐ3歳になる。手先も器用になり、走ったり跳んだりも活発。語彙や知識も増えていて、言葉も達者になってきた。そうすると、遊びの世界もぐんぐん広がってくる。 最近のブームは、野球と相撲と地図である。新聞紙で制作したバットとボールとグローブで、ピッチングとバッティングをやる。(新聞紙なのは障子を破らないためという大人の事情) 相撲は、遠藤ファンである。四股を踏んでみせると大喜びでまねをして、立ち会いをして、突っかかってくる。立派なものだ。先日、何か妙な仕草をすると思ったら、塩を投げていた。その観察眼たるや、なかなかすごいものである。なお、遠藤ファンだが遠藤関の顔かたちは認識していない。いったい遠藤関の何が好きなのかは謎。 また、地図が好きである。保育園の壁からデパートのフロアマップにはじまり、駅、街中、カーナビなど、地図を見つけては、「とうくん、どこ?」と聞く

    その「仕事」を解除せよ――遊びをせんとや生まれけむ - 日比嘉高研究室
  • 「大学改革」が見ていないものは何か - 日比嘉高研究室

    大学をいま襲っている「改革」の大波は、二つある。一つは大学運営の「経営化」の波。もう一つは「グローバル化」と称される世界的なランキング競争の波である。この二つは、それぞれの大学の質のあり方に応じて、強く結びついたり弱く結びついたりしながら、大学のあり方を大きく変えようとしている。 大学運営の「経営化」と機能分化・機能強化 「経営化」と「グローバル化」の二者の結びつきは、「選択と集中」、別名「機能分化・機能強化」というかたちで、大学の前に姿を現している。 ご存じの通り私たちの国は借金漬けで、お金がない。大学などへ渡す予算にも限りがある。予算は「国民の税金」がもとになっているのだから、有効に用いられねばならない。だから大学は、与えられた予算の枠内で、生み出しうる最大限の「成果」を見せねばならない。 では、どうやったら「成果」を出せるか。今のままではだめである(らしい)。「改革」せねばならない。

    「大学改革」が見ていないものは何か - 日比嘉高研究室
  • 大学が〈選択と集中〉にさらされたとき何が起こるか - 日比嘉高研究室

    大学をはじめとした高等教育の行方、私たちの国の研究のあり方に興味を持つ人にとって、現政府の進めようとしている「改革」は、強い危惧を抱かせるものになっています。先日、お声がかかって『月刊 自治研』という雑誌(自治体公務員の組合活動の一環として出されているのだそうです)に「国立大学をめぐっていま何が起こっているか」(『月刊 自治研』vol.56 no.663, 2014年12月)という記事を書かせいただきました。 全文の転載はできなかったので、ここに要旨を紹介します。部分的には、『自治研』掲載の文章を「引用」している箇所があることもあらかじめおことわりします。全文が読みたい方は、書店・図書館等で入手なさるか、日比までお問い合わせ下さい。 *** 〈選択と集中〉とは この記事で私が書いたことは、日の大学に対して進められようとしている〈選択と集中〉の「改革」が実行されたときに、いったい何が起こっ

    大学が〈選択と集中〉にさらされたとき何が起こるか - 日比嘉高研究室
  • 国立大から教員養成系・人文社会科学系は追い出されるかもしれない - 日比嘉高研究室

    教育系・人文社会系は、いらない 国立大学は「国立大学法人」となって、国の縛りから自由になった、はずだったのですが、その実、サイフを握られて結局昔よりも文部科学省の言いなりになる傾向が強まった――このことはどこかで耳にしたことがあるかもしれません。 その国立大学の行く末を論じている会議の一つに、国立大学法人評価委員会というのがあるのですが、そこがびっくりするような提言をしています。「国立大学法人の組織及び業務全般の見直しに関する視点」について(案)という文書で、この8月4日の日付をもつものです。以下で全文が読めます。 http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/kokuritu/gijiroku/__icsFiles/afieldfile/2014/08/13/1350876_02.pdf 教育系・人文社会系のスタッフ一同が、背中に寒風を感じるだろう箇所を引用しま

    国立大から教員養成系・人文社会科学系は追い出されるかもしれない - 日比嘉高研究室
  • 電子ジャーナルと学問のコスト - 日比嘉高研究室

    最近、所属先の大学が、 ある電子ジャーナルのパッケージの購読を止めた。「電子ジャーナルのパッケージ」というのは、販売会社がまとまった数の雑誌を一括して販売している商品のことである。べらぼうに、高い。 部局で割って負担していたので全額ではないが、所属部局がその某E社の商品の購読のために負担していた金額は200〜300万円/年だったような気がする(不正確ですいません)。パッケージで買うことはやめたので、代替措置が提案されてきた。 1.図書館から他大学等へ複写依頼を行う(無料〜数百円) 2.クレジットカードで支払う(1論文30ドル) 3.「トランザクション料金」の前払い制度を利用 (100件の場合 1論文 28ドル 予定価格28万円/200件の場合 1論文 25ドル 予定価格 50万円) 現実的には1を利用するからよいだろうが、もしそれが不可能な場合、1論文につき約3000円である。ばかげている

    電子ジャーナルと学問のコスト - 日比嘉高研究室
  • 著作権保護が実は本の消失に手を貸しているんじゃないか、という記事 - 日比嘉高研究室

    TPPの議論の範囲内に、著作権の延長問題が含まれているということで、諸方で議論が起こっているようです。たまたまFacebookでマイケル・ボーダッシュさんに面白い記事を教えてもらったので、以下、骨子を訳出しておきます。 主に米国の出版状況をもとにした分析のようですから、そのまま日に当てはめられない部分もあるでしょうし、分野によっても結果が異なりそうですが、重要な論点となる、興味深いデータおよび分析です。 われわれの集団的記憶の穴――著作権がいかに20世紀半ばのを消失させているか The Hole in Our Collective Memory: How Copyright Made Mid-Century Books Vanish Rebecca J. Rosen The Atlantic Jul 30 2013 ソース:http://www.theatlantic.com/tech

    著作権保護が実は本の消失に手を貸しているんじゃないか、という記事 - 日比嘉高研究室
  • 1