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ブックマーク / blog.goo.ne.jp/zoge1 (6)

  • エピローグ(3) - コートジボワール日誌

    バグボ前大統領は、ほぼ1年前の2011年4月11日、立て隠っていた大統領府の地下壕で、夫人や側近とともに逮捕された。アビジャンでの市街戦が始まって(3月31日)以来10日余り、市民は家から出られず、料や生活物資の危機に陥っていただけでなく、何より連日の激しい砲撃や銃撃に震え、いつ襲われるか知れない略奪の恐怖に怯えていた。だから、バグボ逮捕の報に、おおいに安堵したのである。 ウワタラ大統領は、大統領選挙以来4ヶ月にわたって軟禁状態にあったゴルフホテルから出て、正式に大統領としての就任式を行った(5月21日)。幾年にわたる政治の混乱と、とどの詰まりは戦乱の後に、コートジボワールの政治権力は、民主主義上の正統性に裏付けられた大統領の手に渡った。それだけではなく、2002年の北部反乱以来の、国が南北に分裂した状態に、ようやく終止符が打たれることになった。 民主主義は、最後に勝利したのだ。めでたし

    エピローグ(3) - コートジボワール日誌
    biconcave
    biconcave 2012/04/20
    話し合いによる紛争解決の重要さと、アフリカの傭兵の話が興味深い
  • エピローグ(2) - コートジボワール日誌

    大使の公邸に、武装勢力が乱入してきたというニュースは、映像とともにCNNやBBCなどの報道で流れ、多くの人々の耳目を驚かせた。日の報道にも大きく取り上げられ、たくさんの方々に心配をかけてしまった。私たちの救出に向けて、フランス軍・政府、日の外務省、在仏大使館、国連代表部ほかの、全力をあげた努力をいただいた。多くの方々のおかげで、私は生き延びることができた。 一時は殺されることを覚悟したし、緊張と重圧のあの時間は、今でも思い出すと顔がひきつる思いになる。その15時間の間には、報道で伝えられた襲撃と救出という事実だけではなく、かなり込み入った展開と駆け引きがあったのだけれど、それを語るにはまだ、私の中で整理が必要だろう。 ここでは、その後多くの人々から問われた疑問にだけ触れておきたいと思う。それは、なぜそんなに危険な場面になるまで留まっていたのか、という問いである。私が十分に危険を認

    エピローグ(2) - コートジボワール日誌
    biconcave
    biconcave 2012/04/13
    留まるべきか、避難するべきか
  • エピローグ(1) - コートジボワール日誌

    あの激動のコートジボワールから1年が経ちました。このブログを通じて応援いただいた、そして何より、私のことをご心配いただいた読者の皆様に、お礼を申し上げたいと思います。 最後の記事に、多くの方々からのメッセージをいただきました。その一つ一つが、私にとってとても大きな励ましになりました。私のブログが、これだけ多くの方々に、しっかり受け止められていたことを改めて知り、心が熱くなりました。あの時、情勢を切り盛りすることで精いっぱいで、お返事をすることができず、たいへん失礼をいたしました。その後どうなったかの話を、かいつまんででもお話ししなければならないということは、この1年間にずっと心に思って来たことです。 ブログの投稿を断念した(2010年12月)あと、現地の情勢は日を追って厳しくなりました。大統領選挙の投票結果にかかわらず、憲法院の決定を盾に、バグボ氏は大統領職に居座りました。莫大な量の武器と

    エピローグ(1) - コートジボワール日誌
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    biconcave 2012/04/09
    コートジボワール日誌復活きたあああああああああああ
  • 筆を擱く - コートジボワール日誌

    大使として見聞きすることを通じて、西アフリカの生活や風土をご紹介しようと、呑気に始めたブログでした。まさか、このような困難な事態を叙述するようになろうとは、思ってもいなかったのです。もちろん、このような事態だからこそ、日々の動きを追ってお伝えする必要性があることを十分に感じております。しかしその一方で、ここまで事態が進展すれば、公正に記事を書き続けることがもはや困難になりつつあります。また、大使としての職務に遺漏をきたしてはならないと、心に銘じています。そこで、このブログは、ここでひとまずお休みにさせていただくこととしました。コートジボワールでこれから起こる出来事は、私の手元に記録として残します。またいつか時を経て、お話しすることができるかと思います。 今回の事態は、アフリカの地で民主主義が完遂できるのか、という大きな問いを、私たちに投げかけています。誰もが読んでいるこのブログでは、私の認

    筆を擱く - コートジボワール日誌
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    biconcave 2010/12/22
    一日でも早い再開を祈るしかない。
  • 衝突を怖れ、流血を怖れ - コートジボワール日誌

    在コートジボワール大使・岡村善文・のブログです。 西アフリカの社会や文化を、外交官の生活の中から実況中継します。 バグボ大統領の就任宣誓式が終わって以降の静けさが、翌日(12月5日)も続いている。国営テレビ放送では、ニュースの時間に、かなり抑えた調子でバグボ大統領の就任を伝えるだけ。それ以外の時間には、映画とか教養番組を流している。おそらくバグボ大統領の側では、もう大統領として就任してしまったのだから、これ以上騒ぎ立てることもない。むしろ、人々の心から選挙の記憶を流し去ろうとしているのだ。 このまま、1週間、2週間と日が経っていくと、少なくともコートジボワールの南半分に住む人々の間には、何だか選挙の騒動があったけれど、世の中は事もなく平常で、大統領はやっぱり前からいるバグボ大統領、ということになるかもしれない。空港は今もって閉鎖され、まったく航空便は飛んでいない。しかし、そろそろ開けて、平

    衝突を怖れ、流血を怖れ - コートジボワール日誌
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    biconcave 2010/12/08
    流血を避けて実効支配を容認するか,あくまで民主主義を尊重するか。
  • たった一人の祝賀会 - コートジボワール日誌

    在コートジボワール大使・岡村善文・のブログです。 西アフリカの社会や文化を、外交官の生活の中から実況中継します。 昨日(12月3日)は、天皇誕生日の祝賀会の日である。いや、祝賀会の日であった。もちろん、このような緊張の中で、開催できるわけはない。涙をのんで、中止した。中止に至る経緯と、私の思い悩みについては、また別の機会に書くことにしよう。ただ、これから書く昨日の動きの叙述は、そういう予定の日であったということを、踏まえている。 一昨日(12月2日)の夕刻に、バカヨコ選挙管理委員長が、避難先のホテルで、「ウワタラ候補当選」を宣言した。その夜に、ヌドレ憲法院長がテレビに出て、その宣言は間違いで、「憲法院が結果を発表する」と述べた。憲法院の結果発表は、「数時間以内に」と言ったけれど、結局翌朝までは、何も出なかった。 火曜日(11月30日)に新たな大統領令が出され、夜間外出禁止令は、来週月曜日(

    たった一人の祝賀会 - コートジボワール日誌
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    biconcave 2010/12/05
    なんたるアフリカ…
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