1970年代の日本の知の世界を牽引(けんいん)、東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所長などを歴任した文化人類学者の山口昌男(やまぐち・まさお)さんが10日午前2時24分、肺炎のため東京都三鷹市の病院で死去した。81歳。自宅は東京都府中市朝日町1の13の26。通夜は15日午後6時、葬儀・告別式は16日午前11時、東京都府中市浅間町1の3、府中の森市民聖苑で。喪主は妻、ふさ子(ふさこ)さん。 北海道美幌町出身。東京大学文学部国史学科をへて東京都立大学大学院で社会人類学を修める。ナイジェリアやインドネシアで実施したフィールドワークをベースに編み上げた「中心と周縁」理論は70年代のアカデミズムに多大な影響を与えた。また、硬直したアカデミズムの世界を撹乱(かくらん)し風穴を開けようと、自身が紹介したキーワード「トリックスター」の役割を演じ、「ニューアカデミズムの祖」とも称された。晩年は札幌大