2014年5月の「日朝ストックホルム合意」にもとづき、北朝鮮は「特別調査委員会」を設置。その調査により、9人の残留日本人が健在であることが判明したという。ところが5年後の現在では、咸鏡南道(ハムギョンナムド)、咸興(ハムフン)市で暮らす荒井琉璃子(るりこ)さん(86)しかいないと公表されている。 私は4回にわたって琉璃子さんの自宅を訪ね、その数奇な人生について詳しく聞いた。 琉璃子さんの父親は、熊本から京城(現在のソウル)へ移り住んで鉄道員をしていた。1944年5月頃に転勤となり、中国との国境の町である咸鏡北道(ハムギョンプクド)会寧(フェリョン)へ一家6人で移る。だがすぐに、父親は現地召集されて中国へ。 ソ連軍による攻撃が近いことを知った一家は、父親と連絡を取ることもできないまま、南へ向かって逃避行を開始した。途中で列車に乗ったものの咸興駅で降ろされた。収容されている旅館で、5歳の弟と2