世の中 増える若者の孤独死 セルフネグレクトの実態「風呂に入らない、片づけない」「誰にも頼れない」【報道特集】 | TBS NEWS DIG
自分の世話を放棄する「セルフネグレクト」。いま、 生きていくために必要な食事や入浴をおろそかにする、セルフネグレクトに陥る人が増えている。特に若者に増える背景には何があるのだろうか。その実態を取材し…
日本人は海外からやってくる危機には敏感に反応する。原油高とか円高とか新型インフルエンザとかはよく報道されるし、政府の対策が不適切だったら批判も高まる。 私は「成長戦略」として語られている問題も本来は、そういう種類の問題だと思う。 しかし「成長戦略」という言葉はヌルい。ヌルすぎる。なんか、やってもやらなくてもどうでもいいけど、やるとちょっとボーナスが増えるみたいから、気がむいたらちょっとやってみるか、みたいな感じ。 本当は、これは原油高に匹敵するような日本にとって大きな問題だと思う。原油は間接的にあらゆる製品の材料になっているから、原油の高騰はどんな産業にとっても大問題だ。 それと同じように、今、ホワイトカラーの労働力の単価が急激に落ちている。日本は直接間接にホワイトカラーの労働の成果を海外に売って食ってる国だから、これは、逆に言えば、あらゆる資源が高騰しているということだ。 「成長戦略」と
中日新聞:母子加算復活 違和感残る予算論議:北陸発:北陸中日新聞から(CHUNICHI Web)というニュースがネット上で話題になっている。 この件について調べた事をだらだらとメモしてみる。 注)このニュースを読む前に、この仮名佐藤さんは派遣の旅行添乗員として働いているというところは覚えておかなければならない。 働かないで生活保護を24万貰っているわけはないのだ。 生活保護は働いている人も貰える はじめに 生活保護全般への疑問につきましては 生活保護関連統計資料等まとめ1〜生活保護の全体像 - 情報の海の漂流者 を参照してください 派遣添乗員について 仮名佐藤さんは働いている。 しかし、同時に生活保護世帯でもある。 これはどういうことだろうか? その答えは派遣添乗員というシステムにある。 社団法人 日本添乗サービス協会の実施した「派遣添乗員の労働実態と職業意識」を引用してみよう。 http
30代後半の女性です。家族構成は夫と5歳の長男と私です。 長男を私立の小学校に行かせる為に、土日だけ働き始めました。扶養範囲内です。ひと月の内に6~7回だけ働いています。割と勤怠にはうるさくない職場です。 そこですごく腹が立った事があったのですが、2カ月位体調が悪いといってお休みしていた人が、ひょっこり又でてきたのです。私としては2カ月も休んでおいて、よく出てこられると呆れ果てました。 その仕事は派遣なので、派遣先にも派遣元にも「あの人は休みすぎですからクビですよね?」と何度も確認したのですが、その人は仕事をやらせると優秀との事で、具合が悪くて休んでいたのは仕方ない事だし、クビにはしないと言うのです。 ここ何ヶ月かはその人は休まなくなりましたが、どうしても一緒に働きたくなくて、面と向かって「クビにならないなら、だらしなく休んでいたんだから、自分から辞めなよ」とつい言ってしまいました。すると
Web2.0バブルが終わった。グーグルの大成功をみて多くの企業が参入したが、結局ものになったのはグーグルだけだった、とEconomist誌は総括している。それはビジネスとしては「2.0」なんかではなく、ドットコム・バブルと同じ広告モデルしかなかった。そして景気の影響をもっとも受けやすい広告ビジネスは金融危機で消滅し、また「核の冬」がやってきた。 資本主義の条件は持続的に利潤を生み出すことだが、その基盤となっている市場メカニズムは利潤を食いつぶす。マルクスもいったように、「商品経済は偉大なレヴェラー(水平主義者)」なのだ。利潤率は傾向的に低下し、国内で鞘が取り尽くされたあとは植民地から、そして植民地が独立するとグローバル資本主義による「経済植民地」から、それも限界が来ると金融資本主義によって・・・と絶えず新しい利鞘を追求する自転車操業が資本主義の宿命だ。 しかし利潤は市場や情報の不完全性
秋葉原通り魔殺傷事件(その6)容疑者は日研総業の派遣社員で裾野市にあるトヨタグループの関東自動車工場勤務 6月一杯で辞めるよう通告を受ける 秋葉原通り魔殺傷事件(その3)容疑者は日研総業の派遣社員で裾野市にあるトヨタグループの関東自動車工場勤務 広報が取材を受ける→追記あり http://iori3.cocolog-nifty.com/tenkannichijo/2008/06/3_d9ea.html の続き。 まず 関東自動車が出したアナウンスメント だ。突っ込みどころは赤で。 2008 年6月9 日 関東自動車工業株式会社 6 月8 日秋葉原通り魔事件の報道について この度の事件で犠牲者となられた方々とその家族の方々に心から哀悼の意を表します。 また、怪我をされた方々の一日も早いご回復をお祈りいたします。 お騒がせして誠に申し訳ありません。 加藤容疑者は、人材派遣会社・日研総業株式会社
ウソです。無理な人には一生無理。死ぬまで弱者。 あ、ごめん、これもウソ。 まず、二項対立は見方の一つに過ぎないってこと。 DSを買ったらPSP捨てなきゃいけないなんてことはないでしょう? 同様に、強さと弱さなんてもんは、一人の人間の中に生まれた時から同居してんだよ。 疲れてたり、気持ちが停滞してると、自分の成功体験を忘れがちになるだけ。 ウィンプというタグを、誰があなたに貼付けたのかな? え、コガイさん?え、分裂君?いやいや、あなた自身っていう可能性もあるんじゃないかな? あなた自身が「自分は失敗した、だから自分は弱い人間に違いない」と、レッテル張りしているんじゃないかな? タグの便利さに溺れたお馬鹿さんが、自らウィンプ小屋に入っていくという、おマヌケな現象なだけだよ。 (詳しく知りたい人は「認知療法」でググってみてね) 話は全然変わって、ひろゆきのこの発言は当然ご存知の事かと思う。 「W
ウェブは資本主義を超える(池田信夫) 自由の過剰な世界 やっぱこの世代の人はマルクス大好きなんですね〜。微笑ましいくらい。アンカテのessaさんも同世代でしょうか? 結論からいうと、「自由の国」は、それを支える「奴隷機構」と「暴力装置」を前提に成立します。 マルクスは自由の国を、労働が生活手段ではなく目的となるような世界とし、そこでは生産力は増大して無限の富が実現すると考えた。 まず、人間がデータ生命になってチップに半永久的に封入されるような場合を除き、炭素生物として生きる限り必ず「汚れ仕事」や「単調労働」といった「生活手段労働」が生じます。 当然、「自由人」はこんなことはやりたくない。 だとすれば、誰かに「やらせる」しかありません。 つまり、安定した「奴隷機構」が不可欠ということになります。もちろんこれが完全に機械化される可能性はゼロではないでしょう。が、それほど精巧なロボットを作るより
サキとは彼女の自宅近く、湘南台駅前のスーパーマーケットで待ち合わせをした。彼女は自転車で後から追いつくと言い、僕は大きなコインパーキングへ車を停めた。煙草を一本吸ってからスーパーマーケットへ向かうと、ひっきりなしに主婦的な女性かおばあちゃんが入り口を出たり入ったりしていた。時刻は午後5時になる。時計から目を上げると、待たせちゃったわねと大して悪びれてない様子でサキが手ぶらでやってきた。 お礼に料理を作るとはいえ、サキの家には食材が十分足りていないらしく、こうしてスーパーマーケットに寄ることになった。サキは野菜コーナーから精肉コーナーまで、まるで優秀なカーナビに導かれるように無駄なく点検していった。欲しい食材があると、2秒間程度それらを凝視し、一度手に取ったじゃがいもやら豚肉やらを迷うことなく僕が持っているカゴに放り込んだ。最後にアルコール飲料が冷やされている棚の前へ行くと、私が飲むからとチ
「丸山眞男をひっぱたきたい」の反響は、単行本が出てようやく世の中に広がってきたようだ。ちょうどDankogai氏からTBが来たので、あらためてこのむずかしい問題を考えてみたい。 Dan氏の表現を私なりに言い換えると、赤木氏の表現はあまりにも否定的で、自分の置かれた状況を肯定するパワーが欠けているということだろうか。たしかに歴史的には、フリーターは「非正規雇用」ではなく、20世紀初頭までは技能をもつ職人が腕一本で職場を転々とするのが当たり前だった。請負契約を蔑視するのも間違いで、これは産業資本主義時代のイギリスでも19世紀の日本でも「正規雇用」だった。しかし第1次大戦後、重工業化にともなって工程が大きな工場に垂直統合され、職工を常勤の労働者として雇用する契約が一般的になった。いわば資本主義の中に計画経済的な組織としての企業ができたのである。 だが今、起こっているのは、この過程の逆転だ。か
現在、IT業界が空前の人手不足に喘いでいるのを知ってますか? たとえば、転職市場におけるベンダー各社の動きで一番分かり易いのが、中途採用の紹介料を軒並み倍増しているという点です。 今年の初め、人材紹介会社やヘッドハンターに支払う紹介料金の相場は、大体20%程度だったと記憶していますが、それが今や紹介料40%!年収が1000万円の人物を企業に紹介したら、400万円が紹介報酬として貰えるのです。 なぜここまでIT業界が人手不足に陥っているのか? 色々な要因がありますが、最近とても深刻になっているのが、「そもそもIT業界に魅力を感じる人が減ってきている」という事実でしょう。 10月30日に情報処理機構(IPA)がIPAフォーラム2007でこんな企画を実行しました。 『IPAはIT業界の重鎮と理系学生による討論会を開催した。テーマは「IT産業は学生からの人気を回復できるのか」だ。 討論したのは
現在のインターネットのシーンでこれを読まなければ先には進めないよという一冊があるとすれば本書だろう。ただし、すでにブログシーンのコアなところに漬かっている人なら、知っている話ばかりであるという印象を持つかもしれない。あるいは、ある種のボックスに分類されるべき視点からの思索ノート群に見えるかもしれない。私もどちらかというと当初ざっと目を通したときにそう思った。再読して大いに反省した。 個々の点においては重箱の隅をつつくような批判も可能だが、この書籍全体が示唆するものは相当に長い射程を持っている。最初にここから引用し紹介するのは反って誤解を招きかねないが、次の指摘は一見すると柄谷行人あたりが言いそうなごく当たり前のことのようにも思えるが、この要点を思索の根幹に据えて、ITの未来を正確に見ている人は少ないのではないか。 マルクスの未来社会像としては『ゴーダ綱領批判』の「各人はその能力に応じて働き
丹羽宇一郎・伊藤忠会長が経済財政諮問会議で余計なことを言ったらしい。本当にそんなことを放言したのか、経団連会長の光学メーカー屋よりタチが悪いなと思いながら議事録を見物に逝ったら、話の文脈がまったく逆で、驚いた。 これの件ね。 http://www.keizai-shimon.go.jp/minutes/2007/0118/shimon-s.pdf よく読んでみると、丹羽宇一郎氏の言ったこと、かなり内容が違う。以下、めんどうくさいので箇条書き。 ○ ”日本はこの10年間で時給がわずか45円しか上がっていない。107%。諸外国に比べて断然低い。最低賃金を破る罰則規定も日本は緩い。最低賃金法については底上げすべき”@8ページから9ページ ○ ”ホワイトカラーエグゼンプションは残業代支給制度などの柔軟性を持たせるもの。悪用された場合のセーフティーネットは準備すべき”@10ページ ○ 「
うまくいかない日に仕込むラペ 「あぁ、今日のわたしダメダメだ…」 そういう日は何かで取り返したくなる。長々と夜更かしして本を読んだり、刺繍をしたり…日中の自分のミスを取り戻すが如く、意味のあることをしたくなるのです。 うまくいかなかった日のわたしの最近のリベンジ方法。美味しいラペを…
説教じみた話を書いているとほんと年寄り臭くなるし、年寄り臭いというだけで嫌悪感を誘うものだし、嫌悪感があれば誤解が誘導されるものなので、ちょいとだけ、仕事を辞める云々の補足みたいなこと。 仕事というのは、世の中の少なからずの人が、自己実現とか報酬と思っている。違っているとは言わないが、こっそり言うと違っているというか大間違いだと思う。ではなにか、時間の拘束である。自分の人生の時間が自分の思い通りにならないという拘束こそが仕事の本質なのである。そりゃないっしょとか言われるか。 仕事は命ぜられてやるものではない主体的にやるものだ、よって、拘束じゃない、自らが求めたものだ、とか、言う? いや、そこがこの問題の要なのだ。 そして、この根幹の問題に、マルクスはとっても明快なことを言っている、だから、マルクスは根源的な思想家なのである。 労働とは時間なのだ、と。 本当はそうじゃない、が、時間として抽象
いつも興味深く読ませていただいている池田信夫氏のブログだが、一昨日にちょっと首肯しかねるエントリが上がったのでそれについて。 マルクスとロングテール(池田信夫Blog) 最近よく聞くのだが、どうもあちこちでロングテール論を悪用する人たちが増えているようで、ITの時代に入った途端に突然あらゆるところでパレート法則が無効になってしまったかのような物言いがされる。んなわきゃーない。ニハチの法則はいつまでたってもニハチなのだし、だいたいたまたま自分がニハチのニだからって偉そうに「キミたちもぜひハチでもロングテールに」とか言わないでくださいよお願いします。 池田氏のコラムについての反論は、山形浩生氏の「ネットワークのオプション価値」という、古い論文でも見ていただければ十分ではと思う。ロングテールはテールにあるものがある日何かの弾みにヘッドのほうに飛び上がってくる「可能性」において成り立っている。山形
「自分の経験上,モラル(責任感や倫理観)を維持したくてもできない時期があった。過酷な作業の中で,本来必須の作業すらこなせない。それが原因で問題が発生して非難されたとき,もう自分が悪いとは思わなかった」 日経コンピュータが5月30日から6月7日にかけて実施した,IT業界のモラルに関するアンケートに寄せられた自由意見の一つである。ソフトハウスに勤務するこの30代のエンジニアは,「後から結果を見て非難するだけなら,誰でもできる」と心情を訴えた。 本誌は,5月30日に公開した記者の眼「危機に瀕するIT業界の『モラル』」の中で,Webによる調査への協力を呼びかけた。短期間にもかかわらず,785人の方にご回答いただいた。この場を借りて御礼を申し上げたい。 記者がとりわけ強烈な印象を受けたのは,回答者が寄せた自由意見である。こうした調査に回答する人は,元から問題意識が高いのだろう。それを差し引いても,回
「WEB進化論」の楽観主義に抵抗を感じた人は、これを読むとよいかもしれない。 <帝国> グローバル化の世界秩序とマルチチュードの可能性 「WEB進化論」はさまざまな読み方が可能だが、現代社会を政治的な観点から分析した「権力構造の構造的変化」という視点で読むことも(かなり偏った読み方だが)できなくはない。そうとらえた場合、ちょうどこれを補完する悲観的な観点(とそこから脱出する手掛かり)をこの本が与えてくれるかもしれない。 とは言っても もし、<帝国>がつねに絶対的な肯定性であり、マルチチュードの統治の実現形態であり、絶対的な内在装置だとしたら、それは、このような定義とは対立する他の何らかの必然性や超越性のせいではなく、まさにこの定義の地勢上でこそ危機にさらされるということだ。危機とは、内在性の平面上でのオルタナティブな可能性のしるしである--つまり、それは必然的ではないがつねに生じうる危機な
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