「強制連行」——定義、軍の関与の有無 荻上チキ あの、論点としては強制連行という所が残っているので、吉見さんのほうから伺っていきたいと思うんですけど、強制連行に軍が、あるいは政府が関与した証拠は見つけられなかったということはね、河野談話などで言われたり、今でもそういうことが言われたりするわけですけれども、では、その「強制連行」、つまり吉見さんが例えば「甘言」とか「誘拐」とか色いろな話がありましたけれど、「強制連行」とはつまり何で、そうした事例はあったのかなかったのか、そのことについて、もう一度吉見さん、いかがでしょうか? ○慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話(平成5年8月4日)(外務省ウェブサイト) 吉見義明 えぇっと、強制の問題はですね、やっぱり慰安所での強制があったかどうかが全てだと思います。 荻上 労働実態が? 吉見 そうですね。労働というか、労働ではないですよね。
","naka5":"<!-- BFF501 PC記事下(中⑤企画)パーツ=1541 -->","naka6":"<!-- BFF486 PC記事下(中⑥デジ編)パーツ=8826 --><!-- /news/esi/ichikiji/c6/default.htm -->","naka6Sp":"<!-- BFF3053 SP記事下(中⑥デジ編)パーツ=8826 -->","adcreative72":"<!-- BFF920 広告枠)ADCREATIVE-72 こんな特集も -->\n<!-- Ad BGN -->\n<!-- dfptag PC誘導枠5行 ★ここから -->\n<div class=\"p_infeed_list_wrapper\" id=\"p_infeed_list1\">\n <div class=\"p_infeed_list\">\n <div class=\"
前線の将兵の死闘の裏で、司令部は何をしていたのか このインパール5部作の中で批判的に言及されているのが牟田口廉也中将だ。第15軍司令官としてインパール作戦を主導したが、インパール作戦への否定的評価に加え、司令部のお膝元に料亭を建てて芸者を集めて遊興に浸った等、「愚将」との表現も残る彼のイメージは、高木の著作によるところも大きいとする意見もある。 こうした高木の著作における牟田口中将の特異なエピソードや個性について、後年になって高木による創作か誇張ではないかという意見も出ていた。高木の記述には出典が明示されていないことも多いためだ。しかし、高木の著作における牟田口中将や彼が率いた第15軍の醜聞は出典を確認できるものも多い。 また、牟田口中将の連隊長時代に副官を務めた河野又四郎が、戦後に高木の著作を読んで手紙(立命館大学国際平和ミュージアム所蔵)を書いている。 筆者がその手紙を確認したところ「
","naka5":"<!-- BFF501 PC記事下(中⑤企画)パーツ=1541 -->","naka6":"<!-- BFF486 PC記事下(中⑥デジ編)パーツ=8826 --><!-- /news/esi/ichikiji/c6/default.htm -->","naka6Sp":"<!-- BFF3053 SP記事下(中⑥デジ編)パーツ=8826 -->","adcreative72":"<!-- BFF920 広告枠)ADCREATIVE-72 こんな特集も -->\n<!-- Ad BGN -->\n<!-- dfptag PC誘導枠5行 ★ここから -->\n<div class=\"p_infeed_list_wrapper\" id=\"p_infeed_list1\">\n <div class=\"p_infeed_list\">\n <div class=\"
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日本軍のインテリジェンス分析 / 天願桟橋 / 日本軍とマラリア / 陸軍中野学校と離島残置工作員「山下虎雄」 米軍の動向 日本軍のインテリジェンス分析 米軍基地の建設 マラリア防疫隊 - マラリアとは 日本軍と「戦争マラリア」 「戦争マラリア」とは 波照間の離島残置工作員「山下虎雄」 そのとき、住民は・・・ 八重山の戦争マラリア 米軍の動向 日本軍のインテリジェンス分析 米陸軍は7月11日、沖縄の日本軍陣地跡から一枚の黒板を見つけた。そこにはヨーロッパ戦線におけるドイツ包囲が記されており、米軍は日本軍が世界の戦況にそれほど疎いわけではなかったことに若干の驚きを示している。しかしこうしたヨーロッパ戦線の戦況分析は日本の作戦決定にどれほど生かされていたのだろう。いったい第32軍は何を目指して「戦略持久」していたのだろうか。 1945年5月7日、ドイツはフランスのランスで、また5月9日のベルリ
「ハルビンからホルマリン漬けの生首が」 新宿・旧陸軍軍医学校の人骨、731部隊と関連か 生々しい証言開示 1989年7月に東京都新宿区戸山の旧陸軍軍医学校跡地で見つかった大量の人骨を巡り、厚生労働省による元軍医学校関係者への調査記録が、市民団体の情報公開請求で開示された。旧日本軍の細菌戦部隊「731部隊」との関係を示唆する証言が複数あり、市民団体は「人骨は731部隊から運ばれた標本類を含んでいる」とみている。(中村真暁) 731部隊 旧満州(現中国東北部)ハルビンの郊外に拠点を置いた旧陸軍の部隊で、正式名称は関東軍防疫給水部。細菌兵器の開発を担っていた。元隊員の証言などによると、中国人らに人体実験を繰り返し、被験者はマルタ(丸太)と呼ばれ、約3000人が犠牲になったとされる。旧陸軍軍医学校には731部隊の日本での研究拠点もあった。
ユージン・スミスの「水俣」 映画『MINAMATA』が、全国の劇場で公開されている。制作・主演のジョニー・デップが演じるのは、写真家のユージン・スミスだ。 米国の写真雑誌『ライフ』で発表されてきたユージン・スミスの数多くの名作の中で、遺作となった「水俣」は最高傑作だろう。フォトジャーナリストとしての、私の生き方を決めることになったのもこの「水俣」の写真である。 ユージン・スミスとアイリーン・スミスが水俣で撮影した写真は、写真集『水俣』に収められている。豊かな海での漁、水俣病患者たちの日常の姿と原因企業「チッソ」との闘い……。これらを、深いモノクロームの世界として実に美しく描いているのだ。 とりわけ私が衝撃を受けたのは「入浴する智子と母」と題された写真だ。古くて薄暗い浴室で、母親が胎児性患者の娘を抱いて湯船に入れている。窓から差し込む柔らかい光がその2人を包み、母親は愛おしさに満ちた眼差しを
陸上自衛隊第32普通科連隊の公式X(ツイッター)が「大東亜戦争」という表現を使いました(その後削除)。日本近代史が専門の明治大学文学部教授の山田朗さんに聞きました。【聞き手・須藤孝】 ◇ ◇ ◇ ――先の戦争をどう呼ぶか、定まりません。 山田氏 日本人の手によって戦争の実態が十分に解明されてこなかったからではないでしょうか。特に、日中戦争が日本人にとってなんであったかが問い直されないまま、今に至っています。 ――中国をどうみているかに関係します。 ◆日清戦争が転換点です。それまで日本人には、文明の中心は中国・インドだという漠然とした意識がありました。ところが、日清戦争では、日本は欧米の文明を受け入れた文明国で清国は野蛮な国だ、「文明と野蛮の戦いだ」とされ、政治家や知識人があおり、一般にも広がりました。大東亜戦争という呼び方もその流れで見なければなりません。 「大東亜新秩序」から ――大東亜
Published 2024/07/03 06:53 (JST) Updated 2024/07/03 09:36 (JST) 1989年7月、東京都新宿区の旧陸軍軍医学校跡地で見つかった大量の人骨について、市民団体が厚生労働省から開示を受けた文書に、旧関東軍防疫給水部(731部隊)との関連をうかがわせる複数の証言があったことが3日、分かった。証言は部隊から人体標本が届いたことを示唆する内容。国は過去の報告書で「人骨の由来は不明」と示したが、団体は「関連は明白だった」と主張する。部隊は中国で人体実験を行ったとされる。 厚労省などによると、人骨は国立予防衛生研究所(現国立感染症研究所)の建設工事中に見つかった。100体分以上と推定される。現在は感染研敷地内で保管されている。 厚労省が2001年にまとめた調査報告書は、人骨は標本類だったと推測した。ただ、731部隊との関連は、標本が海外から届い
「もし僕が北海道に生きて帰れたら、君に、すずらんの花を送るね」 沖縄戦で、ひめゆり学徒隊の看護学生にそう言い残し死んでいった、北海道出身の兵士がいた。 10805人の北海道兵が死んだ沖縄戦から、78年。 日本の端と端、北海道と沖縄で、“すずらんの兵士”の生きた痕跡を探した。 (番組ディレクター 趙 顯豎) 「北海道兵、10805人の死」 初回放送:2023年8月11日 6月 オホーツク 2023年6月。オホーツクの海は青黒く、遠くの方から低く静かな波を立てていた。 その朝、私は宗谷の海岸線を走る路線バスに乗って、東へ向かっていた。 目的地は、浜頓別、というまだ訪れたことのない町だった。 浜頓別での私の仕事は、ひとことでいえば、“人探し”にちがいなかった。 数日前、町役場に前もって電話をかけたときも、「用件」を丁重に尋ねられるや、「人を探しているんです」と確かにいった。が、そのあとあわてて訂
はじめに 軍事リソース不足論の問題点 フィリピンにおけるスペインの軍事能力 スペインの東南アジアへの進出 明に対する派兵論 日本との関係 結論 余談 もしもスペインが日本に侵攻するとしたら 奇妙な交易品 ─カスティーリャ産ワイン─ 宣教師による軍事力の報告はどこまで頼りになるか 「征服」とは 本稿執筆の動機のようなもの 参考文献 有償 無償 はじめに 先日Twitterにて以下のようなやりとりをおこなった。 平山篤子は『スペイン帝国と中華帝国の邂逅』でスペインは「1588年以降も新大陸に広大な領土と資金源を有する超大国であり、ヨーロッパ世界ひいては世界が従うべきルールの設定者」だという意識を持っており、他国への関与を積極的に行おうとしていたと評価しており、最近は自分も16世紀後期の https://t.co/CjDXjPqTbj— あ (@a3dayo) 2024年4月19日 この議論はい
記事:平凡社 パレスチナ・イスラエル問題に関するオンラインセミナー「パレスチナ連続講座」に登壇する東京経済大学教授の早尾貴紀さん 書籍情報はこちら 《前編はこちらから》 ホロコーストを経験したユダヤ人とイスラエル 「ホロコーストを経験したユダヤ人が、どうしてジェノサイドをする側になるのか」という質問をよく受けます。そのことについて、2023年に日本でも公開された『6月0日 アイヒマンが処刑された日』という映画を例にお話しします。ナチスの戦犯アドルフ・アイヒマンは1960年に逮捕され、62年にイスラエルで処刑されました。映画ではその死体を焼却する炉を作る過程が描かれます。映画に登場する鉄工所の社長、作業員、臨時に雇われた少年工は、それぞれ、「イスラエル国民」を構成する3階層のユダヤ人グループに属しています。 1つめのグループは、イスラエルの建国運動を中心的に担った人たちです。ヨーロッパ出身で
マーシャル諸島のミリ環礁で日本に抵抗した朝鮮人労働者たちがやつれた様子で米当局が用意したゴム製のイカダに乗って戦争捕虜として移送されている。1945年3月18日、米海軍が撮影した写真=日帝強制動員市民の会提供//ハンギョレ新聞社 太平洋戦争中に南太平洋のマーシャル諸島の「ミリ環礁」で発生した、強制動員された朝鮮人の集団虐殺事件をめぐり、真実糾明が必要だとする主張が出ている。 日帝強制動員市民の会は5日、「1942年から45年まで、深刻な飢餓や強制労働、米軍の空襲、日本軍の弾圧によってミリ環礁で死亡した強制動員朝鮮人は218人に達する。『戦争の狂気』を象徴するミリ環礁集団虐殺事件の悲劇を詳細に明らかにしなければならない」と指摘した。 強制動員された朝鮮人たちがミリ環礁に移動したのは、1942年初めのことだった。日帝は釜山(プサン)港で朝鮮人2400人を船に乗せて出発した。船には海軍軍属の身分
記事:平凡社 パレスチナ・イスラエル問題に関するオンラインセミナー「パレスチナ連続講座」に登壇する東京経済大学教授の早尾貴紀さん 書籍情報はこちら ヨーロッパ植民地主義を反復するイスラエル イスラエルは1948年の建国の際に、およそ500のパレスチナの村や町を破壊し、住んでいた人々は難民となって周辺の地域に逃れました。とりわけガザ地区は住民の70%以上が難民という状況が生じました。 1967年から軍事占領されたガザ地区では、抵抗運動とそれに対する弾圧、空爆や侵攻も繰り返されてきました。2000年代からは陸海空の封鎖が強化され、ガザ地区は外部との出入りがほぼできない「巨大監獄」のような状態に置かれています。2023年10月7日の武装蜂起は、このような軍事占領に対する最終的な一斉蜂起、最後の抵抗でした。 それを受けてイスラエルは大規模な空爆、侵攻、虐殺を始めました。抵抗運動を組織してきたハマー
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