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資料と南京事件に関するcustardtarteのブックマーク (7)

  • 「通説」を語る資格 - Apeman’s diary

    もっぱら「パン屋→和菓子屋」が話題となっている高校教科書の検定結果ですが、もはや驚くまでもないこととして南京事件の犠牲者数に関する記述が後退させられています。朝日新聞の報道によれば、文科省教科書課は「20万人以上は学問的通説ではないなど問題があった。多くの人を殺害したとの一面的な資料が選ばれていた」と「説明」したとのこと。 しかし「多くの人を殺害した」のは動かしようのない事実であるのに加え、これまで当ブログで度々指摘してきたように、犠牲者数がはっきりしないことについては日側の責任が非常に大きいのです。加えて、日政府はこれまでただの一度も、南京事件の実態を明らかにするための努力をしたことがありません。この不作為を棚上げにして「人数は定まっていない」などと主張する資格などない、ということはあらためて指摘しておきたいと思います。

    「通説」を語る資格 - Apeman’s diary
  • 「証拠を出せ? 出したらちゃんと自分の目で見るんだろうな?」その1 - Apeman’s diary

    一週間ほど前に、私のツイッターアカウントあてにネトウヨが「南京虐殺の証が有れば教えてくれる?」などとメンションを送ってきたので、定番の資料集リストを第一弾として提示したうえで「全部読み終わったらまた連絡ください。続きを教えます」と返答したところ、速攻で「転進」をはじめるというお決まりの結果となりました。ツイートをいくつか削除しているようですが、その削除されたツイートでは「この手の証言はずいぶん見てきたけど」「君の証と言うのは証言のみなのか?」だのと、ご丁寧に自らの無知を晒すハッタリをかましてくれていました。 これがまったく特別な事例でないことは当ブログの読者の方であればよくご存知だと思います。南京事件にせよ、旧日軍「慰安所」制度にせよ、ネトウヨはそもそもどれほどの「証拠」が積み重ねられているかすら知ろうとしませんので、「資料集」として編纂され刊行されている「証拠」を突きつけられただけでも

    「証拠を出せ? 出したらちゃんと自分の目で見るんだろうな?」その1 - Apeman’s diary
  • 幕府山事件(1937年12月16日・17日) - 誰かの妄想・はてなブログ版

    実施部隊 (第13師団)山田支隊・歩兵第103旅団(山田栴二(やまだ せんじ)少将) 歩兵第65連隊(両角業作大佐)・第一大隊(田山芳雄少佐)ほか山砲兵第19連隊なども参加 事件発生場所 (16日)南京城北東 魚雷営附近(魚雷営の虐殺) (17日)南京城北東幕府山北側 大湾子附近(大湾子事件事件発生日時 1937年12月16日〜17日 犠牲者数 中国軍捕虜(敗残兵・民間人) 約15000〜20000人 事件概要 山田支隊は、12月14日に烏龍山附近で捕虜にした敗残兵・民間人約15000人を上元門口より若干東(幕府山の南側)に収容した。その後も捕虜は増え、16日には17000人を超え、一説*1には二万人を超えると言われる。 12月15日に、山田支隊長は軍司令部に捕虜の扱いを問い合わせ、上海派遣軍からは殺害せよとの命令を受ける。翌16日から麾下の第一大隊(田山芳雄)に捕虜の虐殺を命じる。

    幕府山事件(1937年12月16日・17日) - 誰かの妄想・はてなブログ版
  • 南京人口20万人説の出所の検討 - 誰かの妄想・はてなブログ版

    南京事件を否定したい人が最初に覚えるのが、南京事件直前の南京人口は20万人だった、説です。この俗説は、東京裁判時には既に30万人以上という犠牲者数を否定しようと利用されていますので古典的な俗説と言えます。 この俗説は否定論や過小評価説を支える極めて初歩的な根拠のひとつですが、この人口20万人説を支持する信頼できる統計資料については存在が確認出来ません。 もっとも、20万人を示唆する史料が皆無というわけではありません。 南京事件当時に国際難民区を管理した外国人たちの日記などに、これを示唆する記述があるのは確かです。 しかしながら、これらの記述は伝聞形式が多く、対象となる範囲も不明瞭で、信頼できる統計資料とは呼べません。 スマイスの記述「南京戦禍の真相」 The city of Nanking had before the war a population of just 1,000,000,

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  • 「成立の余地があるか」否かで言うのなら、「人口20万人」説は「犠牲者30万人」説以下 - Apeman’s diary

    相変わらずネットではちょくちょく「人口20万のところで30万人殺せるはずがない」論法を読まされるわけですが、国際安全区に集まった難民の数についての委員会の推定を信頼する限り(もちろん否定派はそういう前提に立っているはずです)、「人口20万」説が成立する余地はありません。ゼロです。なにしろこの説は (1) 10万人ないしそれ以上の規模の中国軍将兵を無視しており、かつ (2) 安全区の外に残留していた南京市民(その総数を明確に示す包括的な資料はないが、個別の証言、証拠はいくつもある)を無視しているからです。そしてこの2点を無視することが不当であることは自明である以上、不当な主張を平気で主張できるものだけが「人口20万」説を口にできるわけです。 他方、「30万人殺害は不可能」という主張の最大の論拠が「人口20万」説だったわけですから(ほかにも「原爆でも使わないと不可能」論とかがありますが、どれを

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  • 南京事件の範囲の人口 - 誰かの妄想・はてなブログ版

    南京軍事法廷の判決には以下の記述があります。 中華門外の花神廟・宝塔橋・石観音・下関の草鮭峡などの箇所を合計すると、捕えられた中国の軍人・民間人で日軍に機関銃で集団射殺され遺体を焼却、証拠を隠滅されたものは、単燿亭など一九万人余りに達する。このほか個別の虐殺で、遺体を慈善団体が埋葬したものが一五万体余りある。被害者総数は三〇万人以上に達する。 http://www.geocities.jp/yu77799/gunjihoutei.html 捕らわれた中国の軍人と民間人で、中華門・花神廟・石観音・小心橋・掃箒巷・正覚寺・方家山・宝塔橋・下関草蛙峡などの場所で、残酷にも集団殺害され死体を焼却された者は一九万以上に達する。中華門・下埠頭・東岳廟・堆草巷・斬龍橋などの場所で分散的に殺され、遺体が慈善団体によって埋葬された者は一五万以上に達する。被害総数は合計三十万人余りである。 http://w

    南京事件の範囲の人口 - 誰かの妄想・はてなブログ版
  • 南京事件「どっちもどっちなので保留」派は日本側史料を読むといいよ。 - クッキーと紅茶と(南京事件研究ノート)

    軍の史料だけでも「南京事件」の存在は確認できます。 焼却された史料も多く、また、そもそも加害者側の史料だけで事件の全貌や規模を推量するのは無理があるわけですが、どういう性質の事件が起こったかは確認できます。 南京事件に関して「どっちもどっち」派の方が多くおられる背景には、以下に紹介するような史料が(あまり)知られていない、ということがあります。 その原因は、まずは日政府の怠慢。それから、否定派の文献ではほとんど紹介されないこと。 おかげで、 あった派=「中国(&連合国)史料派 なかった派=「日史料派」 みたいな二項対立が信じられているように思うのですが、それ、偽りの構図ですから。 まあ以下の史料を読んでみてください。数量化はできませんが、ともかく侵略側が酷いことをした、という事実だけは確認できるでしょうから。 加えて重要な事実は、日軍兵士(正確には、徴兵され兵士となった日人)は

    南京事件「どっちもどっちなので保留」派は日本側史料を読むといいよ。 - クッキーと紅茶と(南京事件研究ノート)
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