今までそれはそれは不毛な作業でした。 こちらは具体的なソースや理論を提示して説明しているのに、瀬戸氏といったら遠回しにコソコソ言うだけで、私の記事を元にした一文があっても肝心の私の存在は無視され、毎日枕を涙で濡らしておりました。 しかし今回瀬戸弘幸氏が堂々と私を名指しにしてくれた という出来事は、最近のこの数週間の東村山問題を覆ってきた暗雲を一気に流し去る、そのように感じられる快挙であります。 この数週間の苦しみは耐え難いものがありました。 矢野穂積の訴訟恫喝やレッテル貼りによる東村山市民の危機的な状況を眼前としながらも、圧倒的な 「反創価なら何でもいい勢力」 の前に、我々は苦しい戦いを余儀なくされて来ました。同憂同志と共に結束し、東奔西走し敵に対峙して来ました。 活動の後に疲れた身体を床に横たえても、頭だけはあまりに不幸な東村山市の現状を忘れることが出来ずに、少しまどろいたかと思うと、ま