天皇陛下は23日、85歳の誕生日を迎えられた。これに先立ち皇居・宮殿で記者会見し、2019年4月末の退位を前に「天皇としての旅を終えようとしている今、私はこれまで、象徴としての私の立場を受け入れ、…続き[NEW] 陛下、声震わせ「象徴の旅」を回顧 最後の記者会見全文 [NEW]
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総務省統計局は2009年5月4日、5月5日の子どもの日にちなんで、同年4月1日における日本の子どもの数に関するさまざまなデータを公開した。「15歳未満人口は28年連続の減少、子どもの割合は13.4%で35年連続の減少」などの文字が報道をにぎわせたのでご存知の方も多いと思う。今回はその統計局のデータを元に、こどもの日前後にはあまりスポットライトを当てられなかったデータをグラフ化してみることにした。具体的には「年齢3区分別の人口割合推移と総人口」である(【該当データ掲載ページ】)。 「年齢3区分」とは「0-14歳(子ども)」「15-64歳(成人)」「65歳以上(高齢者)」。特集ページ用データということで表組には1950-2005年までは5年単位のデータが表示されている。統計局のデータベースには1年単位のデータがあるのだろうが、戦争や大地震など、劇的な人口変化の原因となるような事象は幸いにもこの
檜山幸夫氏は日清戦争および植民地期台湾を専門としているが、 その著書『日清戦争 秘蔵写真が明かす真実』(講談社、1997)では、 第六章「台湾統治と台湾戦線」の第三節を「日台戦争」と題している。 同節251頁では、次のように述べる。 清軍兵士と異なり、彼ら(引用者注―台湾の抗日軍)が頑強に抵抗した背景には、台湾に福建省や広東省から移住し、そこに住んでいた原住民を討伐し、苦労して荒れ地を開墾して獲得した土地を守るという意識があったからにほかならない。その意味では、台湾での戦闘は、正しく日本と台湾との戦争(日台戦争)であり、最初の植民地戦争であったということになろう。 檜山氏は、日台戦争の終末を、 第二師団が凱旋した明29.5月末とみているようである。 自分たちが苦労して獲得した土地、郷土を守ろうとする者が 頑強に抵抗するのは、道理であろう。 現地に入った樺山台湾総督は、明28.6.10、伊藤
NHKのシリーズ「JAPANデビュー」第1回、『アジアの“一等国”』に対する右派の天に唾するような抗議に対しては、すでに多くの方が、拙エントリのコメント欄も舞台としつつ反批判を展開しておられます。それはそれで重要なことなのですが、右派が「あれにも触れてない、これにも触れてない」と文句を言うならわれわれもまた『アジアの“一等国”』で触れられなかったことを指摘していく必要があろうと思います。右派の批判に対して左派がNHKの弁護ばかりしているようではまるでNHKが偏向しているみたいではないですか(笑) まずは番組中で「後藤〔新平〕が考え出した条令」として紹介されていた、匪徒刑罰令です。番組では次のように語られていました*1。 日本内地ではあり得ない厳しいものでした。略奪、殺傷のみならず、建物や標識、田畑を破壊した者は死刑。未遂であっても同罪とする。総督府警察が、匪徒、犯罪者と見倣せば、たとえ未遂
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