一戸町教委は、同町岩舘の御所野遺跡出土の縄文土器についていた編み物の痕跡を調査し、スズタケが素材だった可能性が高いことが分かった。同町の伝統工芸「鳥越の竹細工」の素材もスズタケで、4千年の時を超え合致。同遺跡を含む「縄文遺跡群」世界遺産登録に向け、縄文文化の現代への継承を証明する貴重な成果で、工芸の伝承にも弾みがつきそうだ。 近年の縄文研究の進展で、縄文人は土器だけではなく多様な編み物を作り、木の実の貯蔵などに使っていたことが分かっている。だが、植物は腐って残らないことが多く、研究は困難だった。 町教委は、佐々木由香嘱託研究員(植物考古学)と共に、同遺跡中央部から出土した縄文中期後半~末(約4500年前~4千年前)の土器片を調査。 縄文人が土器を製作する際に底についた編み物の痕跡57点を、シリコンでかたどるレプリカ法で採取。節の形状を詳細に調べたり、職人の協力で実際に素材を加工して編む実験
ロシアのシベリアで出土した5万年前のネアンデルタール人女性の骨から採取したDNAを解析したところ、両親は親戚関係のような近縁とみられることが分かったとドイツなどのチームが19日付の英科学誌ネイチャー電子版に発表した。 チームは「ネアンデルタール人は集団が小さく、近親での関係が一般的だったのかもしれない」と指摘している。 ドイツのマックスプランク進化人類学研究所などのチームは、2010年に洞窟で見つかった長さ2・6センチの足の指の骨からDNAを採取してゲノム(全遺伝情報)を解読。特徴からネアンデルタール人の女性と特定した。この女性が父と母から受け継いだ遺伝子を調べると、配列の似ている部分が多かった。 チームは「これほど遺伝的に似ている父と母は血縁が近い」と推定。異父きょうだい、おじとめいなどの関係である可能性が高いとみている。現代人のゲノムの約2%に、ネアンデルタール人の配列が残っていること
太閤検地のひみつ 歴史教科書に刀狩りとともに必ず出てくるのが太閤検地。 豊臣秀吉が天正10年(1582年)から始めた画期的制度とされています。全国の水田・畑の広さと等級をチェックしなおして、全国統一の石高を算定したもので、正確な土地調査に基づいて、どれだけ米などがとれるか、つまり税金がとれるかが明らかになりました。 今でも税務署と高額納税者のバトルがありますが、いかに収入を小さく見せて税金を少なくするかが納税者側のポイント。当然、農民たちも「自分たちはこんなに貧しいんです」といって実際より田畑の面積を小さく、過少申告していました。 検地=増税なので、みな大反発し、各地で一揆が起こります。肥後(熊本)の佐々成政は検地がきっかけで起きた一揆を抑えきれずに切腹させられたくらいです。そうした、合わせて刀狩りも行われるわけですが。 検地をすることは、農民=敗者、武士=勝者と思われがちですが、実は武士
フランスのEyzies-de-Tayacにある先史博物館に展示されたネアンデルタール人の父子の再現模型(2004年7月19日撮影)。(c)AFP/PATRICK BERNARD 【12月17日 AFP】歯が抜け落ち、歩くこともままならなかった高齢のネアンデルタール人が、仲間から介護され、死後は手厚く埋葬されたとする研究論文が16日、発表された。 今回の発見は、フランス中部の発掘現場における13年間の調査に基づいたもので、洞穴に住んでいた石器時代人は実はかなり洗練されていたのではないかとする議論に新たな証拠をもたらした。 仏ラ・シャペル・オ・サン(La Chapelle-aux-Saints)の墓穴が最初に発見されたのは1908年。墓にあったのは身体に障害がある高齢のネアンデルタール人の遺骨で、ここからネアンデルタール人は知能が低く、猫背で足を引きずっていたという「定説」が生まれた。 ■敬意
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シンガポール地球観測センター(Earth Observatory of Singapore)とインドネシアのシャクアラ大学 (Syiah Kuala University)の共同チームが、数千年前の津波堆積物層を発見したインドネシア・スマトラ島北部アチェ州(Aceh)の洞窟(撮影日不明)。(c)AFP/Nanyang Technological University/C. M. Rubin 【12月17日 AFP】インド洋で約3300年から2800年前にかけて発生した巨大津波の「驚くべき」痕跡がインドネシア・スマトラ(Sumatra)島の洞窟で発見されたと、シンガポール南洋理工大学(Nanyang Technological University)の研究所が13日発表した。 同大に属するシンガポール地球観測センター(Earth Observatory of Singapore)とスマトラ島
高校生の頃から、もやもやとした違和感を持っていた。何に対してかと言うと、自分を覆い包む空気のようなものに。少しでも明確に言えば、日本という国に漂う匂いみたいなものに、なんだかイヤだなあという気持ちを持っていた。 それは、周囲との同化を強いる。自己主張をしすぎるとまずいらしいとか。それからどうやら、新卒での就職が大事でそこで人生は固定されるらしいこと。その固定的な人生は会社という固定的なシステムに規定され、それを受け入れさえすれば平坦だが安泰な人生が送れるらしいこと。高校生でも、そんな世の中になっているらしいことは感覚的に理解していた。そしてそれが心の底からイヤだった。そういう固定的なシステムに覆われずに生きたかった。
【編集委員・今井邦彦】モンゴル高原を中心に紀元前3~紀元1世紀ごろに遊牧国家を建てた騎馬遊牧民族、匈奴(きょうど)の製鉄炉跡が、モンゴル中東部で見つかった。匈奴は中国の秦・漢帝国からの略奪で鉄を入手したと考えられてきたが、独自に鉄を生産していたことを示す遺構とみられる。 愛媛大とモンゴル科学アカデミー考古学研究所の共同調査団が2011年以降、ウランバートルの東約120キロのホスティン・ボラグ遺跡で小型の製鉄炉跡5基を発見。放射性炭素年代測定で紀元前1~紀元1世紀ごろのものと判明し、11月に愛媛大であったシンポジウムで匈奴の製鉄遺跡と報告された。 幅数十センチ~2メートル、深さ30~40センチほどの穴や地下に延びる細いトンネルに、鉄と分離した不純物(スラグ)や炭が詰まっていた。地上に大きな炉を作る秦・漢と異なり、黒海周辺から中央アジアにかけての遺跡で多く見つかる地下型の炉とみられる。
日本一長い名字は、幕末の小浜藩士「上沼田下沼田沼田」さんだった? こんな昭和初期の情報が事実なのか、漢字研究者の笹原宏之・早稲田大社会科学総合学術院教授(48)=東京都杉並区在住=が調査に乗り出した。「福井県小浜市に子孫がいるかもしれない」と、地元からの情報に期待を寄せている。 (林朋実)
火縄銃の「ファミ通」風クロスレビュー スエヒロ 2013年12月18日11:33 ツイート 火縄銃と云えば、15世紀前半にヨーロッパで発明され、日本の種子島に伝わり、その後、織田信長ら戦国武将が使用した武器ですね。学生の頃「1543年」という年号を覚えた方も多いのではないでしょうか。 日本の戦国史上に大きな影響を与えた、この火縄銃。織田信長が積極採用したわけですが、実際には「火縄銃って使えるの?」と、火縄銃の効果に懐疑的だった武将も多かったのはないでしょうか。火薬を詰めて弾を飛ばしてしかも一人で持ち運べる。画期的ですが、当時としては突拍子もない武器だと思いますし、採用するか否かは判断に迷うところですよね。 さて。我々、現代人が何か新製品の購入を検討する時、参考にするのがレビューですよね。最近ではユーザー参加型のレビューも多いですが、レビューの老舗といえば、我らがファミ通のクロスレビュー
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