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奈良文化財研究所の発掘調査で、中枢部以外では初となる総柱礎石建物跡が確認された橿原市高殿(たかどの)町の藤原宮(694~710年)跡・東方官衙(かんが)地区では、ほかにも銅とスズの合金「佐波理(さはり)」製の容器の破片が見つかった。奈良・正倉院にも残る高級品で、藤原宮跡では3例目という。 佐波理の容器や匙(さじ)は朝鮮半島で多く作られ、正倉院や斑鳩町の法隆寺などにも伝わる。破片は、礎石建物跡の礎石を抜き取った穴から出土。幅9・4センチ、高さ4センチで、形態から口径14センチほどの鋺(わん)で、飛鳥時代のものとみられるが、産地は不明。 口の縁が厚さ3・36ミリなのに対し、胴部はわずか0・47ミリ。本体を回転させて整形した精巧な造りで、当時の制作技術の高さや優雅な宮中文化を感じさせる。 また調査では、藤原宮造営に先行して敷設された碁盤目状の条坊道路(幅8・8メートル)を、長さ29メートルにわた
サキタリ洞遺跡で発見された埋葬されたとみられる人骨。指さしている所が頭部、その左右が腕、下が骨盤=11日午前11時28分、南城市玉城 【南城】県立博物館・美術館(安里進館長)は11日、南城市玉城前川の観光施設「ガンガラーの谷」内にあるサキタリ洞遺跡で、9千年以前のものとみられる人骨が見つかったと発表した。 人骨は、頭部や上半身部分などで関節が組み合わさった(交連)状態で発見された。同館によると、埋葬された可能性あるといい、「当時の人々が洞穴を墓として利用していた可能性を検証する、新たな手掛かりとなる」と話している。移動された形跡はなく、原位置で発見された交連の人骨としては県内初で最古という。 発見されたのは成人の1体分の頭部や上腕など主に上半身部分と、大腿(だいたい)骨や骨盤など。サキタリ洞の入り口付近の調査区?の地表下約3メートルから出土した。人骨はあおむけで、直径約30センチの石灰岩の
奈良県の吉野林業の中心地・川上村で丸太を買った女子がいる。 と言ってもピンとこないかもしれないが、これがいかに「非常識」(笑)なことなのかわかるだろうか。 丸太は、そのまま使えるものではない。製材して角材や板にしないと使い道はほとんどないだろう。だから、製材所や工務店の人間でもない一介の個人が、それも1本だけ木材市場で丸太を買うなんてことは、通常ではあり得ないことなのだ。しかも若い女性が……。 ただし、私がこの件で考えたいのは、彼女の非常識さ……もとい勇気ではなく、その価格なのである。吉野林業は日本の林業の最高峰とされている。山には樹齢200年300年のスギやヒノキが文字通り林立し、生産される木材も、真円の大径木で年輪の詰まった高級材だ。価格もそのほかの産地と比べると一等抜け出している。彼女の購入した丸太はいくらしたのか……。 先に紹介しておこう。件の女性は、鳥居由佳さん。生まれも育ちも大
──第一線の銀行アナリストを辞めたのは42歳という若さでした。 自分の役割は終わったと思ったんですね。ゴールドマン・サックスのパートナーを辞めた2007年ごろには、ほとんど自分の提示した形で不良債権問題の最終処理、担保不動産の処分が進んだ。邦銀も2~4行あれば十分と主張して結局主要3行になり、多くの問題にメドがついた。 自分は経済全体から見た金融システムの構造問題を分析するスタンスなので、「EPS(1株当たり利益)は何円か」などに興味がない。自分が得意とする分析はもう必要とされないと思いました。引退後は茶道をしたり京町家を買って修復したり、2年ほど自由にしていました。 そこへたまたま、別荘が隣同士という縁で小西美術の経営を見てくれという話が来て、フタを開けたらこれは大変だと。文化財保護の職人を尊重しているようで、現実には潰している世界であること知りました。 小西美術は漆塗りの老舗ですが、業
小野さんは、2009年に東海大学海洋学部に赴任した。それ以来、従来の海洋考古学に加えて、さらに別の方面へと足を踏み入れている。 これまでは陸上で遺跡を発掘したわけだが、海の底に沈んでいる水中文化遺産の調査研究を始めた。水中考古学とも呼ばれる分野である。 海辺の遺跡の研究から、今度は海底に沈んでいる文化遺産へ。自分の足で立って歩ける陸地から、海の底の話になるわけだから、言葉で想像するよりも大きな「跳躍」、いや、「飛び込み」であると思う。 「実は、東海大に赴任する前に総長面接があって、直々に「やれ」と言われました(笑)。オセアニアのこともいいんだけど、水中のほうも含めて何かやれと。それまで、水中考古学ってほとんどノータッチだったんですけど、昔、高校時代には結構興味があったんです。ちょうど初年度からいろいろ偶然が重なって始めることができました。国内、それも東海地方での調査です」 水中考古学という
アベノミクスで経済指標が向上しているのに、一般人の感覚としての実感がない。そんな疑問符も、翻訳前から話題となっていたトマ・ピケティの新刊21世紀の資本で理解が進むかもしれません。 本文だけで600ページ、文字もビッシリ詰まって内容も難易度高し。 しかしながら、今年中にぜひ読みたい、名著です。 富と所得の歴史的変動に注目し、3世紀にわたる20カ国以上のデータを引っ張り出して分析するという壮大な試みです。 難しい経済書は嫌だ、という人でも、お金持ちになることや所得の格差には興味があると思いますが、本書はまさに、そんなど真ん中の欲求に答えてくれる内容です。 単なる心構えや短期的テクニックではなく、何が所得格差を決定づけているのか、どんな人が金持ちになるのか、資本収益率はどうやって決まるのか、「見えざる構造」に迫った、じつに興味深い内容です。 ・過剰な資本は資本収益率を減らす ・労働の格差は常に
宮内庁は5日、垂仁(すいにん)天皇の皇子、五十瓊敷入彦命(いにしきいりひこのみこと)の墓「宇土墓(うどのはか)」に指定している大阪府岬町の陵墓「淡輪(たんのわ)ニサンザイ古墳」(前方後円墳、全長172メートル)の発掘調査現場を報道関係者に公開した。午後は考古・歴史学の学会代表らに公開する。同古墳の本体が発掘調査されるのは初めて。 宮内庁は墳丘の整備工事を前に、古墳の裾部分を20カ所発掘。墳丘は農業用水に使われた堀の水の量を増やすために後世に削られており、築造時の全長は200メートル前後だったことが分かった。現在、前方部と後円部の間から突出する「造り出し」は南側だけに残っているが、当初は北側にもあったことも確認された。 南側の造り出しには墳丘表面を覆った「葺(ふ)き石」がよく残っており、古墳本体との間から円筒形と朝顔形の埴輪(はにわ)が列になって出土。上面や周囲から家や盾、貴人にさしかける蓋
歴史に苦手意識を感じている理系の方もいらっしゃると思います。理系なのに、何故歴史を勉強しなくてはならないの…教えて!gooには、そんな思いを持つ方から質問が寄せられています。 「どうして歴史を勉強するのですか?」 質問者は理系で、歴史に苦手意識を持っているそうです。「歴史を勉強するコツなどもあったら教えてくれないでしょうか?理系の方で歴史が好きになった方の理由などもお願いします」と質問を寄せています。 ■理系でも歴史は役に立つ? 「理系だから暗記が苦手という考え方が、そもそも歴史を嫌いになる元になっているのではないでしょうか?(中略)…歴史はそもそも、なぜ勉強させられるのだと思いますか?常識的に知らなくてはいけないからという理由ではありません。自分たちのつくる未来を永続的に幸せなものになるために、過去の積み重ねと知識を体系的に学ぶために必要なのだと私は考えます」(kohronさん) 「『過
はじめまして。自称・お菓子作り考古学者の下島綾美(ヤミラ)です。わたしは、考古学をテーマに、「作って・食べて・学べる」スイーツを作っています。
戦国時代の城で現存しているものは皆無である。なにせ四百年以上前の建築物だけに、遺構が残っているだけで貴重、多くは地中深く埋もれているか、その歳月によって跡形もなく破壊されて消え去っているものも少なくない。そこで、考古学的アプローチで城郭を調査研究することで、その姿を浮き彫りにしようとする城郭考古学という学問分野が発展してきた。本書で、城郭考古学の第一人者である著者によって描かれるのは織田信長が拠点とした様々な城たちの姿である。 信長初期の城「勝幡城」「那古野城」「清須城」まず紹介されるのが信長出生の城、「勝幡城」である。信長の出生地としては勝幡城、那古野城、古渡城の三説があったが、近年、那古野城が織田家の支配下に入ったのが信長出生後ということが判り、那古野城とその奪取後に建てられた古渡城説が消え、勝幡城が信長出生地とされた。しかし、同城は江戸時代の治水工事によって城址の中心を日光川が貫き痕
1879年、およそ四百五十年に渡り続いた琉球王国は日本に併合(「琉球処分」)され滅亡した。滅亡後の琉球=沖縄は明治政府の支配下で伝統的共同体の崩壊と社会基盤の弱体化を招き、移民が認められた1900年代以降、大量の海外移民が送り出されていった。1940年の統計では海外移民のうち沖縄出身者は五万七千人、数だけなら広島・熊本に次ぐ三位だが、県の人口比では広島3.88%、熊本4.78%に対し沖縄9.97%でとびぬけて多い。全国平均で100人に一人が移民となったが、沖縄は10人に一人の割合であり、1920年代以降沖縄県出身移民は全国の移民の約20%前後を占めた。その中でもハワイへの移民が非常に多い。 本書は著者が1970~80年代に行った、まだ存命の頃のハワイ移民一世~二世への聞き取り調査の記録と、琉球王国の滅亡から二十世紀初頭までの移民を押し出す要因となった社会的背景について描いた一冊である。 本
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