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"自由なドイツ"の裏で進む言論統制の中身 異論を認めない"民主主義"はアリか
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"自由なドイツ"の裏で進む言論統制の中身 異論を認めない"民主主義"はアリか
ドイツはこれまで大量の難民を寛大に受け入れてきた。国際的な評価は高いものの、巨額の費用負担や犯罪... ドイツはこれまで大量の難民を寛大に受け入れてきた。国際的な評価は高いものの、巨額の費用負担や犯罪の増加に悩まされており、ドイツ国内ではメルケル首相の難民政策を批判する声が高まりつつある。だが、そうした声は「差別主義」「ナチ」などと呼ばれて黙殺されてしまう。異論を認めないという「民主主義」とは何なのか――。 ※本稿は川口マーン惠美『そしてドイツは理想を見失った』(角川新書)の一部を再編集したものです。 かつてのEU(欧州連合)は、希望に満ちたプロジェクトだった。「ヨーロッパは一つ」という言葉には、ヨーロッパ人の夢が凝縮されている。民主主義の実現。自由で、平等で、平和で、豊かな世界の建設。少なくともドイツ人は、そういう理想の世界を本気で夢見ていたと思われる。 しかしいま、そうした夢の賞味期限が段々と切れはじめた。EUの指導者の誤算は、EUという壁のなかに理想郷をつくろうとすれば、壁の外側の人々

