エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
自重論者の失敗は許さず、積極論者の過失は大目にみる…日本陸軍が「必敗の戦争」に突き進んだ根本原因 ノモンハンで大失敗した服部卓四郎が許されたワケ
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
自重論者の失敗は許さず、積極論者の過失は大目にみる…日本陸軍が「必敗の戦争」に突き進んだ根本原因 ノモンハンで大失敗した服部卓四郎が許されたワケ
陸軍にとって初めての決定的な敗北となった戦い 服部卓四郎が歴史の表舞台に登場したのは、やはりノモン... 陸軍にとって初めての決定的な敗北となった戦い 服部卓四郎が歴史の表舞台に登場したのは、やはりノモンハン事件(1939年5月~9月)からといっていいだろう。周知の通り、この時すでに満洲国の建国から7年が経ち、日中間では「支那事変」(日中戦争)という実質的な戦争が始まっていた。さまざまな紆余うよ曲折はあるが、この時まで帝国日本は膨張を続けていたといえる。 これはつまり軍事的には「決定的な敗北」を知らなかったということになる。支那事変はケリがつかずに戦線は拡大していったが、軍に大規模なショックを与える敗北ともまた違っていた。 それが、ノモンハンでは一変した。ソ連軍の前に帝国陸軍は苦戦し、事件終結後は参謀本部と関東軍人事の粛清が行われた。服部が史上に残る重大事件に関わった時、昭和の陸軍は初めて大きくつまずいたのである。本来であれば、これでキャリアが終了してもおかしくはなかった。

