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豊臣家の痕跡をこの世から抹消する…秀吉の築いた大坂城を完全に破壊した徳川秀忠のすさまじい執念 現在の大阪城天守閣は徳川がつくった石垣の上に建っている
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豊臣家の痕跡をこの世から抹消する…秀吉の築いた大坂城を完全に破壊した徳川秀忠のすさまじい執念 現在の大阪城天守閣は徳川がつくった石垣の上に建っている
江戸幕府の2代将軍・徳川秀忠とはどんな人物だったのか。歴史評論家の香原斗志さんは「決して凡庸ではな... 江戸幕府の2代将軍・徳川秀忠とはどんな人物だったのか。歴史評論家の香原斗志さんは「決して凡庸ではないが、父・家康のようなカリスマ性や軍事の才能はなかった。それゆえに、豊臣家再興への恐怖心は強く、秀吉ゆかりの大坂城を徹底的に破壊した」という――。 なぜ大坂城は難攻不落の城と呼ばれたのか 12月17日に放送されたNHK大河ドラマ「どうする家康」の最終回「神の君へ」では、豊臣秀吉が築いた大坂城が天守もろとも炎上し、それを家康が陣所から眺める場面が流された。この大坂城は文字どおりに天下無双の城であった。 秀吉が大坂城を築いたのは、大阪市内で唯一の高台である上町台地の北端、淀川や大和川が海に注ぐ河口に近い場所だった。この地は海上交通の要地として古墳時代から栄え、中世においては、明応5年(1496)に本願寺八世の蓮如がここに大坂御坊を構えた。これがのちに本願寺の総本山、大坂本願寺(石山本願寺)となり、

