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「日本兵とたくさん遊んで楽しかった」パプアニューギニアの老人からそう聞かされて、社会学者が戸惑った理由 なぜ私は「戦争は100%悲惨」と思っていたのか
1988年から2年間、パプアニューギニアで暮らしていた 今からさかのぼること三十数年、1988年から90年に... 1988年から2年間、パプアニューギニアで暮らしていた 今からさかのぼること三十数年、1988年から90年にかけての2年1カ月間、大洋州に浮かぶ島国パプアニューギニアで暮らしていた。当時この国は「地球最後の秘境」と呼ばれ、日本社会で生きてきた者にとってはまさに異文化、毎日が驚きの連続だった。 この国は第二次世界大戦時に激戦が繰り広げられた場所で、多くの日本兵が命を散らした悲惨な記憶の場でもあった。15万の兵士が送られ、12万8000人が命を落としたといわれている。大半は銃弾ではなく、食糧不足による飢えと、蚊を媒介にして罹るマラリアによって倒れたのだった。 日本にとっては凄惨な歴史を有する国だが、住んでいた頃は、そのような面影はところどころに転がるように放置されている朽ち果てた戦闘機や軍事車両にみることができる程度であり、そこに暮らす人たちも戦争のことを話題にすることはまったくなかった。



2024/04/24 リンク