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苫野一徳Blog(哲学・教育学名著紹介・解説): ディドロ『ラモーの甥』
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苫野一徳Blog(哲学・教育学名著紹介・解説): ディドロ『ラモーの甥』
はじめに 18世紀フランスの思想家・文学者ディドロの対話小説。 本作の主人公は、実在した大作曲家ラモ... はじめに 18世紀フランスの思想家・文学者ディドロの対話小説。 本作の主人公は、実在した大作曲家ラモーの、やはり実在した甥である。 叔父とは違って、残念ながら彼には才能がなかった。 しかしプライドだけは高いラモーの甥は、才能ある人々を恨み、自らは悪徳者を任ずるが、かと言って大悪人になれるほどの才もない。 本作は、そんなラモーの甥と、人生のバランス感覚に優れた哲学者である「私」との、一風変わった思想的対話小説である。 19世紀ドイツの哲学者ヘーゲルは、『精神現象学』において、主人公ラモーの甥に「自由」をめがける人間の分裂した精神模様を見出している。 人は皆、自由になりたいと欲している。できるだけ、生きたいように生きたいと願う。 しかし、才能の欠如や境遇の不運の前に、中々その思いは達成できない。 そこで彼は、自らのちっぽけな「自己意識」を守るため、人に悪態をついたり偽悪的になってみせたりして、