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見えない橋を架ける。 椹木野衣が見た「突然、目の前がひらけて」
椹木野衣 月評第89回 この橋に両端(はし)はあるか 武蔵美×朝鮮大「突然、目の前がひらけて」展 武蔵... 椹木野衣 月評第89回 この橋に両端(はし)はあるか 武蔵美×朝鮮大「突然、目の前がひらけて」展 武蔵野美術大学には、1990年代初頭からなかば過ぎまで、非常勤講師として講義を一コマ受け持っていたことがある。国分寺からバスに乗り換え、大学の正門に着く直前、道が大きく曲がる角のところに「朝鮮大学校」というバス停があることは、だから当然知っていた。しかしまさか、両校が壁を隔てて隣り合っていたとは、ついぞ知ることがなかったし、誰ひとり、話題にする者もなかった。 しかしこのことは、学内の誰もが心のどこかでは知っていたはずのことだ。朝鮮大が抱える歴史・社会的な背景や、それに由来する武蔵美側の様々な先入観や偏見、時には無視が、その存在を見えにくくしていたのは疑いえない。ところが、あの大震災が勃発したあとくらいから、両校のあいだに、自主的な交流を開こうとする動きが起こるようになった。私が最初に朝鮮大の門
2016/01/14 リンク