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三浦瑠麗が語る「感動の涙を醜いと思ってた」中学時代 | 文春オンライン
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三浦瑠麗が語る「感動の涙を醜いと思ってた」中学時代 | 文春オンライン
気鋭の国際政治学者としてその発言が注目を集める三浦瑠麗さん。前回のインタビューでは、意外にも「ぼ... 気鋭の国際政治学者としてその発言が注目を集める三浦瑠麗さん。前回のインタビューでは、意外にも「ぼっち」でいじめられっ子だったという小学生時代について聞いた。続く2回目は、三浦さんにとって忘れられない思い出となっている中学時代のエピソードや、農学部に入学したものの違和感を拭えず失望していた東大時代について聞いていこう。 (#1から続く) ◆ 夕陽の差し込む教室での“人民裁判” ──中学のときもいじめは続いたんですか。 三浦 当時はまだスケバン文化が私の中学では残っていたので、身の危険を覚えるような腕力でのいじめもありました。それから、陸上部内部でのいじめも逃げ場がなかったですね。今考えると、陸上部をやめればよかったと思うんですが、子供ってそういうことが考え付かないんですね。だから黙って部活も続けていました。 その頃のことで強烈に覚えているのは、陸上部員が集まって、中学の木工教室で人民裁判みた