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「見た瞬間に日本は負けるなと思いました」「顔面蒼白でした」…血の気が引いた「硫黄島の実態」(酒井 聡平)
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「見た瞬間に日本は負けるなと思いました」「顔面蒼白でした」…血の気が引いた「硫黄島の実態」(酒井 聡平)
1945年2月19日、日本兵2万2000人が死亡することになる「硫黄島の戦い」が始まった。 2万2000人のうち、... 1945年2月19日、日本兵2万2000人が死亡することになる「硫黄島の戦い」が始まった。 2万2000人のうち、なぜ1万人が行方不明なままなのか。 その謎を解明すべく、民間人の上陸が原則禁止された硫黄島に4度上陸し、日米の機密文書も徹底調査したノンフィクション『硫黄島上陸 友軍ハ地下ニ在リ』が8刷と大ヒットしている。 ここでは、硫黄島の元陸軍伍長の貴重な証言を紹介する。 僕は硫黄島関連の取材をする際、いつもそうしているように、学徒兵だった西進次郎さんにまず祖父のことを話した。北海道のローカル紙の記者がなぜ、2000キロ南方の硫黄島の取材をしているのか、不思議に思う人が多いからだ。当然のことだと思う。西さんが硫黄島にいたころ、祖父は同じ小笠原諸島にいたこと、硫黄島の歴史の風化に抗う取材を続けることを天国の祖父や父は喜んでくれるだろうと僕が考えていること、などを伝えた。西さんは僕の思いを受け