エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
ルールより力の強弱で決める。ロシアに皇帝専制主義が根付いた理由(宇山 卓栄)
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
ルールより力の強弱で決める。ロシアに皇帝専制主義が根付いた理由(宇山 卓栄)
ルールより力の強弱で決める。ロシアに皇帝専制主義が根付いた理由 『民族と文明で読み解く大アジア史』... ルールより力の強弱で決める。ロシアに皇帝専制主義が根付いた理由 『民族と文明で読み解く大アジア史』増補編3 ロシアの起源は実は外来民族だった? 「ロシアRussia」の語源は「ルーシRus」に由来します。「ルーシ」はルーシ(ルス)族というノルマン人の一部族の名とされます。ノルマン人はヨーロッパ北方の海上の覇権を握り、911年、北フランスにノルマンディー公国をつくります。さらに別のノルマン人一派のルーシ族が族長のリューリクに率いられ、ロシアに入り、スラヴ人を征服します。862年、リューリクはノルマン人国家のノヴゴロド国を建設します。 ノヴゴロド国は882年、リューリクの親族であったオレーグが建国したキエフ公国に継承されます。さらに15世紀にモスクワ大公国、17世紀にロマノフ朝へと継承されていきます。つまりロシアの王朝はルーシ族の来襲以来、ノルマン人に起源があると、一般的な概説書で説明されてい