エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
極小派閥の代表から幹事長へ、二階氏ののし上がり方 二階俊博「知られざる政界の首領への道」 | JBpress (ジェイビープレス)
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
極小派閥の代表から幹事長へ、二階氏ののし上がり方 二階俊博「知られざる政界の首領への道」 | JBpress (ジェイビープレス)
いまや「政界の悪役」といえば、通算在職日数の最長記録を更新している自民党幹事長の二階俊博だろう。2... いまや「政界の悪役」といえば、通算在職日数の最長記録を更新している自民党幹事長の二階俊博だろう。2月17日に82歳を迎えたベテラン政治家は、東京五輪組織委員会会長を辞任した元首相の森喜朗に負けず劣らず失言が多く、メディアに叩かれやすいキャラクターの持主だ。本会議で「黙って聞け!」と野党をにらみつけるのは恒例行事と化しており、首相の菅義偉も二階には逆らえないと言われている。まるで裏社会の親分、首領のような存在だ。二階は一体どのようにして政界最高実力者になったのだろうか。筆者は昨年、二階の人物像について寄稿しているが、今回は角度を変えて改めて二階の軌跡を追う。(文中敬称略) 「政界M&A」の申し子 二階は1939年2月17日、和歌山県御坊市に生まれた。中央大卒業後、国会議員秘書となる。11年間秘書を務めた後、和歌山県議(2期8年)を経て、1983年の衆院選で国政デビューを果たす。44歳だった。