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24色のペン:もう一つの「福田村事件」=隈元浩彦(熊谷支局) | 毎日新聞
大正十二(1923)年九月二日 やがて鮮人騒擾(そうじょう)の報が伝わり始めた。曰(いわ)く鮮人が爆... 大正十二(1923)年九月二日 やがて鮮人騒擾(そうじょう)の報が伝わり始めた。曰(いわ)く鮮人が爆弾を投擲(とうてき)する為(ため)にかく大火となったと云(い)ふ(略)など虚伝頻々として伝わる(当時は事実としか思へなかった) 九月五日 逃亡鮮人惨殺の報が頻々として来る、不時に際して人心の真を知ることが出来る当時其(その)行動に対し是々非々する各自其真を吐露するので其人を知ることが出来た、夜陰雨蕭々(しょうしょう)として降る 埼玉県妻沼(めぬま)町(当時。2005年に熊谷市と合併)が関東大震災(1923年9月1日)から5年後の28年に編んだ「妻沼町誌」に収録された、町の日誌と思われる記述である。「鮮人」という差別的な語感を伴う言葉を使って、震災翌日には、利根川を挟んで群馬県に接する小さな県境の町にも、朝鮮人虐殺につながるデマが広まっていたことが分かる。 それから3日後に出てくる「惨殺」の2
2023/09/21 リンク