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ウクライナ原発への軍事攻撃が思い起こさせた「あの日」 2011年3月11日の総理番記者の記録(前編) | 47NEWS
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ウクライナ原発への軍事攻撃が思い起こさせた「あの日」 2011年3月11日の総理番記者の記録(前編) | 47NEWS
Published 2022/03/29 16:00 (JST) Updated 2022/03/29 19:04 (JST) 東日本大震災が起きた日、私は共同... Published 2022/03/29 16:00 (JST) Updated 2022/03/29 19:04 (JST) 東日本大震災が起きた日、私は共同通信の総理番の当番を務めていた。翌3月12日早朝に行われた菅直人首相(当時)の東京電力福島第1原発の視察にも同行した。 あの日から11年が過ぎた。私はこれまでに被災地での取材をしたことがなく、当時も今も現地の様子をまるで知らない。それでも今回、2011年3月11日と12日のことを総理番だった自分なりの視点で振り返ってみようと考えた。 震災から11年の日を迎えたということもあるが、最近出張取材したウクライナが、ロシアの侵攻を受け、欧州最大級のザポロジエ原発が軍事攻撃されたり、チェルノブイリ原発で停電が起きたりと、福島第1原発事故以来の危機が懸念されていることもきっかけになった気がする。3月16日には宮城と福島で震度6強の地震があり死者