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ここからはじめる平和――何もかもが戦争の論理に飲み込まれてしまう前に|三春充希(はる) ⭐第50回衆院選情報部
あのとき国旗をどれほど見ただろうか。2003年の3月に、アメリカがイラクへの軍事侵略をはじめた時のこと... あのとき国旗をどれほど見ただろうか。2003年の3月に、アメリカがイラクへの軍事侵略をはじめた時のことだ。各国で起きた抗議行動の場で、掲げられた“NO WAR”の文字は国旗を背にしてはいなかった。“NO WAR ON IRAQ”はあったけれども、それも国旗が背景ではなかった。一枚一枚のプラカードが思い思いのスタイルで掲げられた。ある人はハリボテの地球儀を高々と掲げていた。 確かにイラクの国旗は意匠としては複雑だといえよう。ウクライナのものは二色であるため、用いやすいという面はあるのかもしれない。しかしそれだけでは終えることのできない深刻な隔たりが感じられてならない。国旗を振ったり掲げたりするのは反戦という立場ではなく、むしろ防衛戦争を肯定する立場に近いのではないのかという疑念が、頭をちらついてならないのだ。 戦争に反対する時に、なぜ「人々との連帯」より先に「国との連帯」がもちだされなければ
2022/03/17 リンク