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万博も、都庁もできるはずだった…JR・私鉄・地下鉄が一つもない「東京都心の一等地」が抱える"悲しい来歴" "東京の未来"になるはずの晴海、なぜ計画のすべてが消えたのか
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東京湾岸の晴海は、庁舎や万博の予定地だった。それが今、鉄道駅のない“タワマン街”になっているのはな... 東京湾岸の晴海は、庁舎や万博の予定地だった。それが今、鉄道駅のない“タワマン街”になっているのはなぜか。東京の中心になるはずだった晴海の悲しい歴史に、ルポライターの昼間たかしさんが迫る――。 晴海に移転する「幻の東京都庁」計画 現在、壁面を利用したプロジェクションマッピングが開催されたり、観光地化している東京都庁。展望室は外国人観光客にも人気で、平日には直通エレベーターが大行列。時には40分以上待つこともあるという。 そんな都庁が、新宿の現在地に移転したのは1991年のことである。1943年の都政施行以来(さらに辿れば1894年以来)、ずっと有楽町にあった都庁の移転は、高層ビル建設が進み副都心となった新宿の地位を一段と高めることとなった。 かつての東京では郊外だった新宿の副都心としての地位はここに完成したのである。これが行政機構の中心施設が持つ力といえるだろう。 しかし、実は東京市庁(のち
2025/05/25 リンク