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“幻の十一代将軍”徳川家基の母・知保の方の生涯|貧しい家の出身から十代将軍・徳川家治の側室に【日本史人物伝】 | サライ.jp|小学館の雑誌『サライ』公式サイト
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“幻の十一代将軍”徳川家基の母・知保の方の生涯|貧しい家の出身から十代将軍・徳川家治の側室に【日本史人物伝】 | サライ.jp|小学館の雑誌『サライ』公式サイト
知保の方が生きた時代 知保の方が生きた時代は、安定した政治基盤のもとで文化的にも成熟を見せていた時... 知保の方が生きた時代 知保の方が生きた時代は、安定した政治基盤のもとで文化的にも成熟を見せていた時期でしたが、将軍家における後継問題は常に重大な関心事でした。なかでも十代将軍・家治は正室・倫子との間に子がなかなか生まれず、その行く末を案じた側近たちの動きが、知保の方の運命を大きく動かすこととなったのです。 知保の方の生涯と主な出来事 知保の方は元文2年(1737)11月15日に生まれ、寛政3年(1791)3月8日に没しました。残されている少ない資料からその生涯を紐解いていきましょう。 側室となった経緯 知保の方(智保の方とも書く)は、津田宇右衛門信成の娘とされ、伊奈忠宥(いな・ただおき)の養女として育てられました。一説には貧しい家の出身ともいわれています。 宝暦11年(1761)、徳川家治に仕える中臈(ちゅうろう、大奥の女中のこと)として大奥に上がり、翌年の宝暦12年(1762)に男子を出