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2008-09-24
もういい加減ベテランだし、いいオトナなので、客観的な正しさや公平性みたいなものを求められると感じ... もういい加減ベテランだし、いいオトナなので、客観的な正しさや公平性みたいなものを求められると感じるシーンが少なくない。他の人がそういう場面でどうやってるか知らないけど、慣れる前までは自分が想像する理想のオトナを頭の中に召喚して、生理的な反射や好みの部分は可能な限りミュートして、そいつにしゃべらせていた。 でもふと我に返った。それって「僕」が言う必要のあること? 僕の中にそういう別の価値観の人がいるのは判断材料のひとつだからいいとして、本来の僕を差し置いてそいつに言わせてるのって、一体何なの?って思うようになった。 映画のレビューが載っているCinemaScapeというサイトに書いてあるコンセプトを幾度となく思い出す。 元来映画の好みは人それぞれで、客観的な評価は難しいものです。むしろ、主観的で思い入れの強いコメントの方が読んでいて面白く、しかも正直な意見として価値があるといえます。 つまり