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何のために学ぶか?
「お父さん、何のためにべんきょうするの?」 そんな問いを、うちの子どもが投げかけてくるまでは、まだ... 「お父さん、何のためにべんきょうするの?」 そんな問いを、うちの子どもが投げかけてくるまでは、まだ若干の時間的余裕がありそう(今はまだ「にゅーにゅー(牛乳)」「わんゎん(犬)」くらいしか言えません・・・)。 それでも、いざそのときになったら自分も相手も納得するような回答ができるのか?まったく自信がない。 以前からそんな問題意識を持っていたので、今朝の日経新聞一面での特集記事で論じられていた「何のために学ぶか?」という問題は、興味をもって読み、また非常に考えさせられた。 例えば、簿記のような実用的なスキルや、特定分野の知識を身につけていれば、自然と仕事をする上でのチャンスは拡がる。そんな「結果」がすぐ目にできるものについては、明確な目的意識をもって勉強できる。 しかしここで考えたいのは、すぐには役にたたなそうな、歴史、科学、哲学、文学、音楽といった、リベラルアーツ=教養の類のものである。なぜ
2007/02/10 リンク