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秘密兵器が敵の手に…とはいえ痛手のみでもなかった「ベレンコ中尉亡命事件」のその後 | 乗りものニュース
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秘密兵器が敵の手に…とはいえ痛手のみでもなかった「ベレンコ中尉亡命事件」のその後 | 乗りものニュース
冷戦のさなかにソ連のパイロットが秘密兵器たる最新戦闘機で飛来……歴史に刻まれる「ベレンコ中尉亡命事... 冷戦のさなかにソ連のパイロットが秘密兵器たる最新戦闘機で飛来……歴史に刻まれる「ベレンコ中尉亡命事件」は文字通り一大事でした。ソ連にとってはとんでもない痛手ではあったものの、怪我の功名的な影響もありました。 脅威たる秘密兵器の化けの皮がはがれたとき いつの時代どの国でも、新兵器の情報は厳重な秘密とされます。特に20世紀、「鉄のカーテン」に覆われていると揶揄された旧ソ連中心の東側陣営とアメリカ中心の西側陣営は、互いに新兵器の秘密を探ろうとするスパイ合戦を繰り広げ、スパイ小説や映画もたくさん作られました。 そのような情報合戦の最中に、「棚からぼた餅」のような事件が日本で起こりました。1976(昭和51)年9月6日に発生した「ベレンコ中尉亡命事件」です。ソ連防空軍(当時)のベレンコ中尉がMiG-25戦闘機を操縦して日本の防空網を潜り抜け、函館空港に強行着陸したのです。 拡大画像 ベレンコ中尉が亡