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『リッチマン、プアウーマン』のカリスマ起業家はなぜ母に捨てられた設定なのか? | 考えるための書評集
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『リッチマン、プアウーマン』のカリスマ起業家はなぜ母に捨てられた設定なのか? | 考えるための書評集
『リッチマン、プアウーマン』はカリスマ・ベンチャー起業家を描いためずらしいドラマである。 いちばん... 『リッチマン、プアウーマン』はカリスマ・ベンチャー起業家を描いためずらしいドラマである。 いちばんのもりあがりは信頼していた共同経営者に裏切られる話だが、この回だけは名作に達するかと思ったけど、わたし個人としては思いをつげられないワンパターンな恋愛話など、雰囲気がいまいち名作にふさわしくなかったと思った。『華麗なる一族』みたいに重厚な雰囲気だったら名作になれたかもね。 このカリスマ・ベンチャー起業家の物語にはなぜか捨てられた母探しのエピソードがつけくわえられている。石原さとみ(夏井 真琴役)はなぜじつの母の名前を偽名として使ったのだろうか。このエピソードは気まぐれにこういう設定がはさみこまれたのだろうか。 この物語は「母に愛されたい」という欲求を描いた物語だと思う。それが世間から愛される欲求になったり、恋人に愛されたいという欲求に変わる。自分の存在を認めてほしいという認知欲求について語った