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安土城は何が画期的だったのか 研究者の間で続く「争論」とは 京滋の城跡記「天下のぞむ構え」9 安土城|文化・ライフ|地域のニュース|京都新聞
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安土城は何が画期的だったのか 研究者の間で続く「争論」とは 京滋の城跡記「天下のぞむ構え」9 安土城|文化・ライフ|地域のニュース|京都新聞
織田信長が住まう「天主」が、安土山(滋賀県近江八幡市)にそびえたった。壮大な「塔」と当時の宣教師... 織田信長が住まう「天主」が、安土山(滋賀県近江八幡市)にそびえたった。壮大な「塔」と当時の宣教師らが言い表した高層建築は、標高199メートルの山頂からさらに45メートルを見上げた。1576年の築城に前後し、「上様」と称されるに及んだ信長。足利将軍家に成り代わり、天下人の存在感を示さんとする象徴空間を出現させた。 ■3点セット 手だてに用いた新機軸は何か。「石垣、瓦、礎石建物の3点セットでの導入にある」。城郭史に詳しい中井均・滋賀県立大名誉教授はこう強調する。 各パーツは中世の城で部分的に用いられていたが、同時に全てを用いた例はなかった。これを大量に用い、かつ組み合わせる中で、10メートル級の高石垣で覆って隔絶し、礎石建ちで金箔(きんぱく)瓦をふいた天主(地上6階・地下1階)が立つ主郭部などをつくり上げた。 「戦国期の城はいわば山を切り盛りした土造りの城だった。だが、信長の石造りの城は、軍事