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新間寿さん〝幻〟に終わった柔道・山下泰裕氏のプロレス入り 後年サウナで遭遇し…驚きの後日談 | 東スポWEB
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新間寿さん〝幻〟に終わった柔道・山下泰裕氏のプロレス入り 後年サウナで遭遇し…驚きの後日談 | 東スポWEB
〝過激な仕掛け人〟の意外な後日談とは――。昭和プロレスの重鎮・新間寿さんが、21日に90歳で死去し... 〝過激な仕掛け人〟の意外な後日談とは――。昭和プロレスの重鎮・新間寿さんが、21日に90歳で死去した。 故アントニオ猪木さんが旗揚げした新日本プロレスに1972年に入社し、猪木さんの右腕として活躍した。76年6月には猪木とモハメド・アリの「格闘技世界一決定戦」を実現させた。初代タイガーマスクをデビューさせるなど〝過激な仕掛け人〟として数々のヒット企画をプロデュース。そんな名プロデューサーでも実現できず、猪木さんを悔しがらせた企画もある。その一つが「柔道王」獲りだ。 新間さんは、1984年ロス五輪柔道男子無差別級金メダリストの山下泰裕氏の獲得に動き、猪木さんの大ファンだった祖父の泰蔵さんと直接交渉して仮契約を結んだ。契約金の一部も前渡ししたが、契約書には山下氏が断ったら無効となると記されていたため、半年後に断られ、契約金の一部も返却された。 新間さんは猪木さんの命を受けて交渉に当たったのだが