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そろばんとはしは無用か(昭和53年) - 青少年教育50年の道のり
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そろばんとはしは無用か(昭和53年) - 青少年教育50年の道のり
そろばんとはしは無用か ローマ時代に、食べ物を一度食べて吐き出し、また食べたという、あの異常な時代... そろばんとはしは無用か ローマ時代に、食べ物を一度食べて吐き出し、また食べたという、あの異常な時代にも、その社会に住んでいる人々は、何も異常だと思わなかった。 この頃ふいと腹が立つ。何故か埋由ははっきりしない。しかし、食堂でスプーンを握るような不格好な手つきではしを持っている青年を見たり、暗算のできない奴を見たりすると、後になって誰がこんなことをさせたのかと叫びたくなる。手先の不器用な人を叱るのでも、けなすのでもないが、やけにそうした人が多くなっている今日、この頃の現状が気に入らない。だから気づかないうちに、そうさせられた彼らのために腹を立てているのだ。 1.計算に弱い欧米人 私は小さい時から、日本人は手先が器用で繊細な頭脳をしているので計算に強いと教えられた。しかし、それが訓練によってそうなったとは、誰もいわなかった。日本民族は生まれながらに優秀なんだということだった。 日本は戦争に負け