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ブックマーク / tsurumitext.seesaa.net (8)

  • 「ジャニー性加害」が突然大問題になったことの重大さ: 鶴見済のブログ

    テレビ局については正確には「事務所の味方をしよう」という態度を「事務所を責めよう」に一変させたと言うべきだ)。

  • 「大人になれない若者」批判が流行っていた: 鶴見済のブログ

    80年代に「モラトリアム人間」という言葉が流行っていた。 モラトリアムというのは「猶予期間」のことで、大学生などで「大人になれない青年」を非難する意味合いで広まった。大人になれないというのは、まずはサラリーマンになるのを嫌がることだ。けれどもそれだけではない。 ハキハキ話す大人の態度が取れないことや、割り切れずに内面の自我にこだわる人まで、広く外向的・社交的になれない青年がモラトリアム人間とひと括りにされていたと言える。 もっと詳しく言えば、大人(=社会に適応した人間)になることこそが人間として“アイデンティティ”を確立することで、それができずにぐずぐずしていることが「モラトリアム」というネガティブな意味合いで語られていた。 精神科医が提唱して、精神医学界から広まった言葉で、他にも「ピーターパンシンドローム」「青い鳥症候群」「成熟拒否」など、似たような概念が精神医学界から色々提唱されていた

  • 対人恐怖症は「大人になれないせい」と見なされていた: 鶴見済のブログ

    吃音(どもり)の原因が、かつては家族や人のせいとされていたことを、ひきポスというひきこもりのサイトの記事で知った。

    eririchan3031
    eririchan3031 2023/01/21
    戻ってはいけない時代
  • 運次第の残酷な世界に生きている: 鶴見済のブログ

    最深部の問題とか最終的な問題と呼んでいる問題がある。 例えば誰かとのつきあいとか、社会の制度といった浮いては消える問題よりも、はるかに深いところにある問題という意味だ。 生き物の生死とか、地球環境とか、宇宙とか物理とか、そういった問題よりももっと深いと思う。 我々が持ってしまう世界への絶望やムカつきの根源に何があるのか。 人が生きるうえでもこれが一番深い思いになったりするので、書くのにも慎重になる。 ********************* まずどれだけ科学や理性を発達させたところで、やはりこの世の中は「運次第(あるいは偶然)」で成り立っている。 「でたらめ」ということだ。 生まれる家族や土地。人の持つすべての遺伝子、人の容姿。これらは100%運で決まる。人生において出会う相手も、運の力がはるかに大きい。 (自分にとって人生最悪レベルの人物との出会いは、自分で選んだものだっただろうか?)

  • 見田宗介の死、「ほんとうに切実な問い」: 鶴見済のブログ

    その時に、「自分としてはこれ以上に追悼すべき人はいない」みたいなことを書いたのだが、実はひとりいるなと思っていた。

  • 新しい形のつながり、共有、贈与『ニートの歩き方』書評: 鶴見済のブログ

    人ほど頑張ることが好きな国民が他にいるだろうか? 日が工業製品の輸出に特化できた理由は「勤勉な労働力が豊富にあったから」というのが定説であり、電車は日夜分刻みの比類のない正確さで運行している。「頑張ります」「頑張ってください」という言葉抜きには、日常会話さえ難しい。 ニートの生き方について書かれた書は、この社会を支配する“努力教”に対して、「そんなに働かなくていい、もっといい加減でいい」と反旗を翻す。現在三三歳の著者は通学や通勤が苦手で、就職しても社内での仕事がほとんどなく、こんな人生は嫌だと三年ほどで退社。その後は住居など生活上のインフラを最少限にとどめ、共有や贈与や小さなコミュニティを大切にしながら暮らしている。生活の中心にあるのはインターネットで、必要なお金はネットでの広告収入などで賄っている。

    新しい形のつながり、共有、贈与『ニートの歩き方』書評: 鶴見済のブログ
  • 雨宮処凛さんと対談した: 鶴見済のブログ

    先日筑摩書房から発売された『「生きる」ために反撃するぞ!──労働&生存で困った時のバイブル』というのなかで、著者の雨宮処凛さんと対談している。 90年代以前の生きづらさと今の生きづらさ、自殺、内なる新自由主義、いじめ的な人間関係とユニオン的な人間関係、等々について、あれこれ話している。とは言っても、普通にグローバリゼーションの話なんかもしてしまっているので、他のページと違ってあまりタイトルどおりの内容にはなっていないが。 自分の対談も含めて、中身の多くの部分は金融危機以前にできていたと思うのに、むしろそれ以降に緊急企画されたのようであるところがいい。 の紹介ページ(紀伊国屋書店) http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4480863923.html 阿佐ヶ谷ロフトで出版記念トークイベントも行なわれ、自分も出ることになっている。 「生きる」ために反撃す

  • 経済のせいで自殺が増える時代: 鶴見済のブログ

    最近、自殺の原因を、その人の「心の弱さ」のせいにしなくなってきたのはいいことだ。 少なくとも自分が10~20代だった頃は、自殺をした人やしたい人(特に若者)に対して、「自殺は心の弱い者のすることだ」「もっと強く生きろ!」「尊い命を粗末にするな」「生きていることは素晴らしいんだ」「死ぬ気になれば何でもできる」「死ぬな!」……、といった説教が、世間一般からも教育・精神医学方面からも浴びせかけられていた(最近のいじめ自殺に対してこんなことが言えるだろうか?)。 自殺をはなから「いけないこと」と決めつけて、道徳的に自殺者を叱るようなことも普通に行われていた。 要するに自殺した/したい人の苦しさなんか、世間はわかっちゃいなかったんだと思う。 そんななかで「自殺は悪くない」「なんで自殺しちゃいけないんだ」と言うことは、そういう見方に反対することであり、「死にたいほど苦しいことがある」と訴えることでもあ

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