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ブックマーク / blogs.itmedia.co.jp/natsume (26)

  • 国際マンガ家の困難 田村吉康さんと話して:夏目房之介の「で?」:オルタナティブ・ブログ

    少し前になりますが、田村さんとお会いして、学習院の講義でトークをしてもらいました。そのとき田村さんが、フランスの大手出版から原案者、脚つきのマンガ化を依頼され、その作業工程で山ほどストレスを抱えている話を伺いました。彼はまずフランス側出版社の編集者に「ネーム」を送ってほしいと頼んだそうです。 しかし、マンガ編集者とネームを介して相談し、内容を決定するのは、日独特の作法だと思われます(「ネーム」という工程を言説化して一般化した責任の一端は僕にもあるかも)。ジャンプ出身の田村さんにはそれが当たり前でしょうが、世界的には通じない可能性が高い。むろんラフを介在させるシステムは、ジャンルや出版社などによってありえます。分業で別人がやる場合もあるでしょうし、原作者とラフを介して相談する場合もありえますが、編集者が強い権限をもってラフの段階から内容に介入するのは日ぐらいだろうと思います(むろん例外

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  • 水木しげるサンお別れ会:夏目房之介の「で?」:オルタナティブ・ブログ

    日は、青山葬儀場に「水木しげるサンお別れ会に行ってきました。一応、ご招待をいただき、第一部の関係者のみの会に参加し、献花してきました。献花後の懇談会では、荒俣宏さん、南伸坊さん、永井豪さん、松田哲夫さんなどに久しぶりにお会いしました。もちろん呉智英さんにも。でも、何よりもつげ義春さんがこられたところで、そこに池上遼一さんがかけよってこられ「懐かしいなあ」と握手された現場にいあわせられたこと。その後並んで座ってお話しされている横に座らせてただき、少しお話しできたのは、感動ものでした。もっとも話の内容は、つげさんが先日の雪で転ばれて肋骨を折られた話とか、病気話でしたが(笑)。でも、このお二人と同じ場所にいられただけで、マンガ好きには「思い出」です。荒俣さんとお話しできたのも、当に久しぶりで、水木先生のお導きです。 また、せっかくの機会なので、うちの専攻でつい先日「劇画的絵柄の誕生 貸漫画

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  • 2015.3バリ報告 書店とマンガ取材:夏目房之介の「で?」:オルタナティブ・ブログ

    デンパサールの中国武術サークルに参加するついでに、グラメディア書店により、例によってマンガ売り場に。立ち読みならぬ座り読み中の女性。 例によってなぜか横になってしまうが、例によって『NARUTO』そして『ONE PIECE』が占める棚。 これが『進撃の巨人1』(ATTACK ON TITAN 1)。中を見てみたら、日のオリジナルとは絵が違う。おそらくアニメを通じて海外には流通するはずなので、さすがにあの絵ではまずかったのか、描き直しているように見えた。もっとも、まだオリジナルと比較していないのではっきりしたことはいえないが。 こちらはウブドメインストリートの書店。観光客には子供も多いので、コミックスも色々置いてある。ここで見つけて買ったのが、Ryan Inzana『ICHIRO』(2012年 NY)。英語のグラフィック・ノベルですが、米国生まれの日米ハーフでトラウマを持つ少年イチローが、

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  • NHKEテレ「浦沢直樹の漫勉」:夏目房之介の「で?」:オルタナティブ・ブログ

    http://www4.nhk.or.jp/P3310/ 面白かった。浦沢が仕掛けたらしい企画で、漫画家の下書きからペン入れまでをカメラで記録し、それを漫画家が観ながら語り合うという、僕にとっては願ってもないドキュメント。登場するのは、浦沢人のほか、かわぐちかいじ、山下和美。この比較がまた面白い。 すでにすべての画面が頭の中で完成していて、いきなり登場人物の眉から描き始める浦沢に対し、頭部の輪郭からペンを入れ、しっかりと人物の輪郭を固めてから顔の各部に入り、眼を後から入れるかわぐち。 もっとも驚くのは山下で、ネームでいい線が出ているのに、ペン入れの段階で何時間も悩み、しまいにペンではなく初めてだという和紙に墨でいきなりボカシを効かせた絵を描き始め、ついにはそれを断ち切りの1ページ絵にすることを決め、前のコマ構成を変えてしまう。まるでペン入れもまだネーム中のような描き方。山下の場合、すでに

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  • 1月26日シンポジウム「マンガ研究とアーカイブ」:夏目房之介の「で?」:オルタナティブ・ブログ

    http://mediag.jp/project/project/archive.html 26日(土)は、午後から文化庁のシンポジウムに参加。冒頭で短い挨拶をし、清水勲先生の講演のあと、佐々木果氏の司会による京都精華の吉村和真氏、明大の宮大人氏、北九州漫画ミュージアムの表智之氏による各自発表とシンポジウムがあった。 マンガのアーカイブズの調査、連携についての構想は、マンガ研究の進展に伴う大きな課題になっている。どんな研究対象であっても、その歴史調査とその基礎となる「史観」の構築は必要な過程だが、マンガ史についても、戦前~戦後、前近代~近代史の連続性、非連続性、さらに海外との関係など、あらたな観点にもとづくアーカイブズ調査が課題となっている。 そうした課題に具体的にかかわってきた各氏による討議は、大変勉強になった。こうした討議は、僕も何度も企画してきたが、なかなか実質的な討議になりにくい

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  • 宮崎駿『風の谷のナウシカ』マンガ版と「読みにくさ」:夏目房之介の「で?」:オルタナティブ・ブログ

    学習院身体表象の担当ゼミ(批評研究)で、以下のようなレジュメの発表を行いました。 2013.10.2-9 マンガ・アニメーション芸術批評研究(3限) 宮崎駿『風の谷のナウシカ』マンガ版と「読みにくさ」  夏目房之介 ※以下のメモは、今秋提出の当専攻博士課程後期・砂澤雄一の『風の谷のナウシカ』についての博士論文に触発されたものである。 1)『ナウシカ』マンガ版は読みにくいのか? 阿部幸広「究極の、そして最も幸福なアマチュア-マンガ家としての宮崎駿」(「ユリイカ 臨時増刊 宮崎駿の世界」青土社 1997年)をはじめ、『ナウシカ』マンガ版を「読みにくい」とする意見が複数ある。夏目自身は、違和感は多少あるが、それほど読みにくいとは感じていなかったので、少し意外であった。直観的には、宮崎のマンガ観が50年代の読書体験によって形成され、古典的な表現形式を踏襲しているために、現在のマンガ形式になじんだ読

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  • 「もてもてナインティナイン」の手塚神話:夏目房之介の「で?」:オルタナティブ・ブログ

    たまたま「もてもてナインティンナイン」(TBS)で手塚治虫をやってて、いやあ、典型的なテレビ的ホラというか、神話伝説化のステロタイプみたいでした。一体どこから情報集めたのか、あるいは誰かTVの作家が作ったのか、元になる情報はわかるけども、こうやって手塚神話は作られるんですねー。手塚が少女マンガを初めて描いたとか、擬音語をマンガに使ったとか、少し知ってればすぐにわかるものから、こまかいところで大げさにしてるものまで。「これが初めて」という「わかりやすさ」を提供しようとする起源神話作りにあわせて情報が歪曲されたり、「すごさ」「極端さ」を強調するために部分的に変えたり曖昧にしたり。「テレビ的」に見栄えよくするという至上命題の前で、情報が歪んでゆくサマが見て取れて興味深いものでした。『ブラックジャック』が『ゴルゴ13』のキャラクター特性を利用したものだとの説は、あるいは僕の「殺し屋」スタイルの援用

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  • 『闇の国々』のペータース、スクイテン両氏緊急来日!:夏目房之介の「で?」:オルタナティブ・ブログ

    『闇の国々』が、文化庁の主催する第16回メディア芸術祭にて マンガ部門の大賞を受賞。それにともなって、「この喜びを日 の方々とぜひ分かち合いたい」とのことで、作者のブノワ・ペー タース、フランソワ・スクイテン両氏が緊急来日されます。六 木の新国立美術館で原画展が開かれ、講演も行われます。 以下、小学館集英社プロダクションからの情報を転載します。 あまりにも急なので、告知が遅れたそうなので、拡散希望です。 「9番目の芸術と呼ばれるマンガ、バンド・デシネ」 【日時】 2月13日(水) 18:30~19:30 ※15分前開場 【会場】 東京ミッドタウン [ミッドタウン・タワー5階 インターナショナル・デザイン・リエゾンセンター (東京ミッドタウン・デザインハブ内)] http://j-mediaarts.jp/venues?locale=ja ※受付は5階入口です 【出演】 ブノワ・ペーター

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  • 日経は大衆文化系弱いね:夏目房之介の「で?」:オルタナティブ・ブログ

    http://www.nikkei.com/article/DGXNASGR0400S_U3A200C1000000/ アングレームBD祭で『ドラゴンボール』が特別賞、という記事なのだが、 〈日漫画などに影響を受けたフランス人が描くフランスの漫画は「バンド・デシネ」と呼ばれ、フランスの文化・芸術の一角を占めている。〉 とある。すごいね、どうも。 たしかに日マンガに影響を受けたBDもあるし、日やアジア、欧米各国のマンガの翻訳出版が、フランスのマンガ出版点数の半分を占めるといわれ、もっとも世界に開いた市場であることはたしかだが、アメリカン・コミックス、カートゥーン、日のマンガ含めても、それらに影響を与えてきたのは、歴史的にはむしろ欧州のBDだといわれている。コミック・ストリップへの流れが19世紀前半スイスのテプフェールから始まるという最近のマンガ史でいえば、この記事は逆のように読める。

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    feel
    feel 2013/02/05
  • 「コルク」 マンガなどのエージェント業に転身したマンガ編集者:夏目房之介の「で?」:オルタナティブ・ブログ

    コルク(cork)という会社ができた。『ドラゴン桜』『働きマン』『宇宙兄弟』などの担当者だった講談社編集者・佐渡島庸平が独立して作った、作家のエージェント会社。 http://ebook.itmedia.co.jp/ebook/articles/1210/01/news065.html もちろん、エージェントという形態の必要性、可能性はずいぶん以前から語られていて、竹熊健太郎氏などもその論者だったと思う。僕も、リクツでいえば、そうなると思ってきたし、そんなことを著書で書いたこともある。けれど、日のマンガ編集者制度はいい意味でも悪い意味でも強固に習慣化していて、これまで格的な成功例は見られない。わずかに小学館出身の長崎尚志が浦沢直樹と組んだ例が可能性を感じさせた。昔から自称エージェントはいたが、どこか胡散臭いのもいたし、なかなかうまくいかないのかな、と思われた。それがなぜなのか、今の僕に

    「コルク」 マンガなどのエージェント業に転身したマンガ編集者:夏目房之介の「で?」:オルタナティブ・ブログ
  • 『有害コミック撲滅! アメリカを変えた50年代「悪書」狩り』:夏目房之介の「で?」:オルタナティブ・ブログ

    デヴィッド・ハジュー『有害コミック撲滅! アメリカを変えた50年代「悪書」狩り』(小野耕世、中山ゆかり訳 岩波書店)読了。素晴らしいです。460p2段組の分厚いなのに、次が知りたいのでページを繰るうちに読み終えてしまった。 地道な取材、インタビュー、当時の記事などを積み重ね、具体的に何が起き、誰が何を思い、話したかが、きちんと書かれているので、今まで漠然としていた50年代にアメコミをほぼ壊滅させてしまった(そのため、少なくともその直後にはスーパー・ヒーローのみが残った)バッシングの経緯がイメージできる。 取材の中心はコミックブックを制作した側、経営者、編集者、アーティストたちだが、バッシングした側(心理学者、政治家、ジャーナリスト、母親など)、その当時はほとんど発言の機会のなかった読者たち、あるいは読者ですらなかったが、焚書運動に参加した者たちの言説まで紹介し、その事態を多角的に描写し

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  • 内記稔夫さんが亡くなった:夏目房之介の「で?」:オルタナティブ・ブログ

    「現代マンガ図書館」を作られ、私費で貸を中心に膨大なマンガを保存整理され、日のマンガ研究に大きな貢献をされてきた内記稔夫さんが亡くなられた。 内記さんは、江戸っ子らしい気風の素敵な方だった。よく会場を手配してくれたマンガ史研究会では、いつも分け隔てない態度で若い人たちにも接し、気さくに何でも話してくれた。長い間、私財を投じてアーカイブを支えてこられた彼に手塚特別賞が贈られたときは、当に嬉しかった。でも、そのスピーチでも窮状を訴えられていたのが記憶に残る。もともとブックオフを狙った「著作権を考える会」の運動が失敗し、ついでみたいに一定程度の蔵を持つ貸し業に課金することになったときも怒っておられた。私設図書館は、貸屋さんなのだ。マンガ出版社は、恩人に仇で返すマネをしたといわれても仕方がない。あの時は休業することになった生き残りの貸屋がずいぶん出ただろう。悔しかったと思う。 いや、

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  • BDとマンガ(マンガ・エロティック エフ):夏目房之介の「で?」:オルタナティブ・ブログ

    「マンガ・エロティック エフ」(太田出版 Vol.75)に、BD原作者ジャン=ダヴィッド・モルヴァンの原案で、中国の作家ジェイ・リュウがマンガを担当した「嫌われ役」という短編がある。その短編のあとのインタビューに面白いBDとマンガの比較論があった。原正人翻訳になるインタビューの中で、ジャン=ダヴィッド・モルヴァンはBDとマンガのスタイルの違いについて尋ねられて、こんな風に答えている。 〈BDの作家はどちらかというと「物語」を語ろうとする傾向が強いんです。それに対して、日のマンガの作り方は、「登場人物」にずっとフィーチャーしているというか、そこに焦点をあわせようとする。だから登場人物を豊かにしようとする傾向があると思うんですが、その辺が大きな違いじゃないでしょうか。[略]もちろんBDの場合もキャラは重要なんですよ。ただ、日のやり方とは違ったやり方でキャラを使います。BDの場合はキャラクタ

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  • 佐藤秀峰『漫画貧乏』(PHP):夏目房之介の「で?」:オルタナティブ・ブログ

    『ブラックジャックによろしく』『特攻の島』の佐藤秀峰が、雑誌連載では赤字になる状況の中で原稿料の不合理に疑問を感じ、出版社との交渉を繰り返し、ついに紙媒体の泥舟的先行きに悩み、自作を含むマンガの配信サイト「漫画 on Web」を立ち上げていくまでの悪戦苦闘を書いた。 http://mangaonweb.com/creatorTop.do?cn=1 こうした問題は、すでに竹熊健太郎がある程度まで単行で追求しているが、佐藤の原稿料、印税収入と支出の関係の記述はさらに詳細で、それ自体、ほとんど外に知られることのない貴重な資料である。たんなる感情論ではなく、きちんとした収支の数字と、それにもとづいた交渉および出版社の対応を描いている。これは、現在のマンガ製作現場を考えるとき、重要な資料になりうるだろう。もちろん佐藤個人の経験ではあるが、少なくとも彼や、彼より過酷な状況にいるマンガ家、プロダクシ

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  • ET「絵物語と漫画の違い -1950年代の少女雑誌」(「ビランジ」28):夏目房之介の「で?」:オルタナティブ・ブログ

    竹内オサムさんのマンガ研究誌「ビランジ」28号を送っていただいた。 その中にETさんの「絵物語と漫画の違い -1950年代の少女雑誌」という文章がある。 戦前から、少年少女雑誌には挿絵小説、絵物語、漫画が載っているが、それをどう区別するかは、はっきりした基準が存在しない。もちろん、見て直観的にそれぞれを区別できる、と思えるものは多いが、中には曖昧でどっちつかずのものもある。これらをどう整理したらいいか、その上でこれらの歴史的推移や移行をどう考えるかは、マンガ史では重要な研究課題だといっていい。 ET氏は、具体的に少女雑誌(50年代後半の「少女ブック」)の例をあげて、かなり明確にその基準を示している。 まず、見開き2ページあたりの絵の数によって、3.5~4以下なら挿絵小説、それ以上で12.5~13以下なら絵物語、それ以上なら漫画という基準が「少女クラブ」には、わりと明瞭にあるとしている(雑誌

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  • 水木貸本時代の絵の元ネタ!?:夏目房之介の「で?」:オルタナティブ・ブログ

    水木しげる『妖奇伝』(1959年貸 図版は青林堂『復刻版墓場鬼太郎 妖奇伝(上)』1992年17p) ご存知、貸の鬼太郎物の一場面ですが、水木は貸時代、アメコミの古(米兵の放出したもの)を参考にしてます。で、今回、50年代の米ホラーコミックスを集めたに、ほぼ同じ画像を発見しました。水木版のページ下部の、走る男の後ろ姿と土を掘る男に注目。 アメリカのホラーコミックの「掘る男」の姿勢、ほぼ同じ。Warren Kremmer「Amnesia」1953年(Greg Sadowski「FOUR COLOR FEAR  Forgatten Horror Comics of the 1950s」(Fantagraphics Comics  2011年 196p) こちらも姿勢や陰影もほぼ同じに見える。同上197p おそらく、これが元ネタの作品と考えて間違いないんじゃないでしょうか。 けっこう、

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  • 9日の「クローズアップ現代」:夏目房之介の「で?」:ITmedia オルタナティブ・ブログ

    2月9日のNHK「クローズアップ現代」で『ワンピース』特集が放映されたようです(観てませんが)。 じつは、その回で僕は大学院の修士生たちと『ワンピース』を分析してほしいと依頼され、学生たちはけっこうな時間をかけてTV用に大きな『ワンピース』年表を作成し、半日ほどかけて撮影もしました。ところが、ほかの内容に押し出されて放映分に入りませんでした。TVというのは、往々にしてこういうことがある、ということは経験的に知ってますし、自分だけのことだったら僕もさして不愉快にはならなかったでしょう。が、研究依頼まで受けて全部カットというのは、さすがに経験がないのと、学生諸君に申し訳ないので、正直怒ってます。めったにこういうことで怒らなくなってますが、いかに何でも見通しが甘すぎると。まあ怒ったところで何がどうなるわけじゃないですが、同僚の身体表象の先生方や事務の方々、学生諸君には協力もいただき情報を回してい

  • アメリカから「料理マンガ」の研究者が:夏目房之介の「で?」:オルタナティブ・ブログ

    ニュー・メキシコ大学で教えておられるローリー・ブラウ(Lorie brau)さんから、日の「料理マンガ」研究の情報収集のために来日するのでお会いしたいとの連絡をいただき、せっかくなので今日のゼミで発表をしていただいた(もちろん流暢な日語で)。ブラウさんは、72年に来日され、円菊さんのところで噺家修行も2ヶ月され寄席にも出られたという日通で、すでに米国で落語についてのを出されている。こんどは料理マンガについてのを計画されているのだ。おかげでゼミは大変刺激的に盛り上がった。 発表は、結論のあるものではなく、現在彼女が考えているポイントをあげられる形式だった。箇条書きで書き出すと、こんな感じ。 1)少年、少女マンガ、青年マンガなど、マンガのサブジャンルに様々に存在する「料理マンガ」をどんな枠組みでとらえたらいいか。また、それらの間で「料理」のイメージはどう異なるのか。 2)商品市場とし

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    feel
    feel 2010/06/10
  • 水木しげる画業60周年記念パーティ:夏目房之介の「で?」:オルタナティブ・ブログ

    水木御大の米寿もあわせてお祝いするパーティが帝国ホテルで行われ、出席してきた。 僕も、ずいぶん色んな祝賀会などに出ているが、こんなに楽しい気分で幸せになった会は滅多にない。娘さんが挨拶で「水木にはしあわせ菌がついているらしい」とおっしゃっていたが、当にそうだと思う。水木さんが、奥様と一緒に高々と手を挙げて入場された瞬間から、そこには目に見えない楽しい気分が粒子のように漂い始めた。 京極夏彦さんの司会も楽しかったし、荒俣宏さんの自称「コンシェルジュ」も素晴らしかった。京極さん編集の15分の水木伝映像は、ぜひ豪華の付録にでもつけてほしいほどのデキだった。が、何といっても水木さんの娘さん、弟さんらの挨拶や、水木さん、奥様、娘さんの家族漫才の素晴らしさたるや、筆舌に尽くしがたい。やはり、水木さんのユーモアは、この家族に遺伝的に感染してきたものなのだ。 水木さんに、久しぶりにご挨拶し、そのあと、

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  • 「漱石財団」報道 小学館「週刊ポスト」8月7日号:夏目房之介の「で?」:オルタナティブ・ブログ

    「スクープ★ワイド 夏目漱石 突然の「財団設立」を巡って孫と曾孫が泥沼骨肉バトル」 こうした見出しは大抵デスクが付けるのだと思いますが、たぶん、どこかでこうしたフレームでやりたがるだろうとは思っていました。中の記事は、それほど過激なものではなく、商標権、肖像権などについて弁護士の意見も聞いてまとめているので、内容的にはほぼ問題はないです。ただ、この問題を「夏目家の内紛」というゴシップでのみ報道されると、ことの質がボヤけてしまいます。この件についてはやはり(同じマスコミの人間としてわからんではないものの)ここで触れておこうと思いました。 私としては、(少なくとも現時点では)この問題は「夏目家の内紛」的なゴシップとしてではなく、知的財産権を巡る状況の変化を背景にした権利と社会共有のバランス、それをどう考えるかという公的な問題としての報道が望ましいと思っています。その観点からの社会的コンセンサ

    「漱石財団」報道 小学館「週刊ポスト」8月7日号:夏目房之介の「で?」:オルタナティブ・ブログ