タグ

Buddhismに関するfootnoteのブックマーク (6)

  • 仏教はちゃんと「加害性のある執着を愛と呼びます」と言うから潔い→じゃあ善なる愛は何て呼んでるの?「しっくりくる」

    チカ🥞 @chika_tilo 仏教は「加害性のある執着を愛と呼びます、煩悩の一つです」って言うから潔いよ。じゃあ善なる愛は仏教にないのか?というと、それには「慈悲」という名称をつけてるよ。 2023-07-27 21:39:26 リンク 仏陀倶楽部 / Buddha CluB 【 愛(あい)】日常での仏教用語 | 仏陀倶楽部 / Buddha CluB 愛は、仏教では愛着の意味合いで使われることが多く、煩悩の一つとされます。 そして、仏教の愛にはつぎの5つがあります。 自己・血族・親族に対する「愛」 他者に対する「親愛」 特定の個人に対する「欲愛(恋愛)」 性的な「愛欲」 病的・盲目的な執

    仏教はちゃんと「加害性のある執着を愛と呼びます」と言うから潔い→じゃあ善なる愛は何て呼んでるの?「しっくりくる」
  • 実は800年近く前からあった「黙食」の概念──本来の意味をお坊さんに聞いてみた - メシ通 | ホットペッパーグルメ

    写真提供:折橋大貴 新型コロナウイルス(以下、「新型コロナ」)の感染が拡大していた2021年1月、福岡のある飲店が、事中の会話を控える「黙」を勧めるポスターを作成・配布したことが話題となりました。それ以降、様々なお店で黙を勧める掲示が増えてきています。 ところで、この黙という概念、実は仏教には古くからあったということをご存知でしょうか? 禅宗、特に曹洞宗の修行道場では、坐禅堂・風呂・トイレで余計な言葉を発してはいけないという規律があり、それが坐禅堂で行う事にも当てはまるため、必然的に黙って事=黙となっているのです。 そんな曹洞宗の黙について、話題の黙ポスターと絡めたコラムを執筆したお坊さんがいます。神奈川県にある曹洞宗・養山常泉寺の副住職であり、フレンチの料理人でもある折橋大貴さん(32歳)です。 今回は折橋さんに、古くからある黙とは一体どのようなものなのか、そして

    実は800年近く前からあった「黙食」の概念──本来の意味をお坊さんに聞いてみた - メシ通 | ホットペッパーグルメ
  • 「弱者男性」でありたがることのなにが問題か - 道徳的動物日記

    gendai.ismedia.jp ↑ 「弱者男性論」に関するわたしの記事が講談社現代ビジネスに掲載されてからちょうど一ヶ月になるが、この記事をきっかけに「弱者男性論」が盛り上がったようで、SNSや個人ブログに匿名ダイアリーなどで、弱者男性について書かれた文章がいくつも登場することになった。 そのなかでも特に重要なのは、文春オンラインに掲載された杉田俊介さんの記事だろう。 bunshun.jp また、はてなブックマークでは以下のツイートに数百以上のブクマが付いている。 これはわたしの話ですけれども「モテないオトコの欲求不満の解消」に必要だったのは「オンナの再分配(!)」なんぞではなく長年にわたるセルフネグレクトを自覚し解消することでした。冷蔵庫を重曹で磨くと綺麗になってうれしいとか、自炊すると美味しいとか、そこに救いがありました。 — はまりー (@travis02130213) Apri

    「弱者男性」でありたがることのなにが問題か - 道徳的動物日記
    footnote
    footnote 2021/05/04
    “問題の原因が外にあるということは、問題の原因が内にある場合と比べて解決が困難になるということでもある。”
  • 浄土真宗の僧侶です。初めて書き込みます。 不慣れなため、先ほど書いた..

    浄土真宗の僧侶です。初めて書き込みます。 不慣れなため、先ほど書いた文章がすべて消えてしまい心折れかけましたが、やはり大事なことなので、増田さんに伝わればと願って改めて書き直します。 お祖父様のことをお悔やみ申し上げるとともに、今回このような形で、増田さんやお母様が悲しまれる結果になってしまったこと、痛惜に堪えません。 結論から言わせていただくと、リモート葬儀それ自体に否はありません。そんなもので台無しになるのが仏の教えならば、仏法は2500年も受け継がれたりなどしません。 私から言わせれば、死者を軽んじ、葬儀を台無しにしているのは、ご親族の方だと思います。 葬儀とは「弔(とむら)い」であります。弔いとは元来、「訪(とぶら)い」という字を用いました。これは遠近様々な場所から死者の元へと人々が訪れる様子を意味していますが、決してそれだけではありません。 死者に出会うということは、まだ生きてい

    浄土真宗の僧侶です。初めて書き込みます。 不慣れなため、先ほど書いた..
  • 寛容と不寛容の間ー仏教の智慧を科学する の記事書き起こし - ログミー

    寛容と不寛容の間ー仏教の智慧を科学する の記事書き起こし - ログミー
  • 般若心経について: 極東ブログ

    長く難病に苦しんだ生命学者、柳澤桂子が般若心経の現代語訳のような「生きて死ぬ智慧」を出していたのを最近知った。堀文子の絵とリービ英雄の英訳も書籍の企画としてはすばらしいものだ。柳澤桂子の言葉を読みながら、正法眼蔵の摩訶般若波羅蜜の巻なども思い出しながら、なぜこれほど多くの人がこの短い経に心を寄せるのか、あらためて不思議に思った。 宗教学的に考察するなら、般若心経とは、一般に日で理解されているものとはかなり異なるものだ。仏教学者も実際は各教派の下に置かれるから、その教義を離れた厳密な考察はしづらいし、解釈が教義に引かれてしまいがちになる。それでもいいのだろうとも思うし、なにより、研究者には一般社会に語らなくても自明のことがあるものだ。 そうしたこともあり、私もある種自明なこととしてこの件に書くことはなかろうとも思っていた。しかし、こうしたおりについでに少し般若心経についてふれておいてもい

  • 1