初版年月日 2023年2月10日 書店発売日 2023年2月10日 登録日 2022年12月8日 最終更新日 2023年1月24日 紹介 長年世に問うてきた解説解題や書評の類のものを、新旧、長短、硬軟とりまぜて選び、「解説解題」「書評」「学界動向」「編著序文」「三余余録―『中外日報』社説から」の5章仕立てに。 中国学を牽引してきた著者の読書の世界。 令和4年度、文化勲章受章者。 【目次】 はじめに Ⅰ 解説解題 内藤湖南『支那史学史 1・2』解説(平凡社東洋文庫)/附 『史記』びいきの内藤湖南と『漢書』びいきの狩野君山/附 湖南と『真誥』/宮崎市定『史記を語る』解説(岩波文庫)/附 『史記』の魅力/『漢書』五行志 解説(平凡社東洋文庫) など Ⅱ 書 評 小倉芳彦訳『春秋左氏伝 上・中・下』(岩波文庫)/村上嘉實『六朝思想史研究』(平楽寺書店)/小林正美『六朝道教史研究』(創文社)/大淵
茨木のり子は十代半ばから戦争という時局下で過ごした。第二次世界大戦が終結した時には十九歳になっており、周りの世界が激変していく過程に身を置きながら過去を振り返り思考するには十分な年齢であった。身のうちから溢(あふ)れてくる疑問や矛盾に衝(つ)き動かされるようにペンを取ったのである。 茨木の作品史を見渡すと、書き始めた時期と同じように重要な項目として韓国語がある。茨木が韓国語の学習を開始したのは一九七六年、五十歳の時だ。当時は韓国に関する情報も少なく、なぜ韓国語を? という問いかけを受けた。これに応じるように、少女時代に朝鮮民謡の選集を愛読していたことなど、個人的な記憶の海から探り採られた珠のようなエピソードは韓国という糸で結ばれていき、さらに近現代において日本語で書かれた詩とは? という問題意識へと発展していく。 本書では、まず茨木の作品を分析して詩人の在り方を考察する。続いて韓国の歴史と
ハンセン病文学の新生面 『いのちの芽』の詩人たち 1953年、らい予防法闘争のさなか刊行された大江満雄編『いのちの芽』(三一書房)は、全国8つのハンセン病療養所から73人が参加する、初めての合同詩集でした。今年は詩集刊行から70年目にあたります。 療養所における文学活動は戦前から盛んで、北條民雄や明石海人らが知られていますが、療養所の「秩序維持」や個人の「自己修養」の枠内で許される場合がほとんどでした。 戦後の状況は、療養所の文学を一変させます。日本国憲法による基本的人権の尊重と、初の化学療法の治療薬であるプロミンの登場は、精神的にも肉体的にも入所者に大きな変化をもたらしました。自らの境遇を「宿命」とするのではなく、変革可能な未来ととらえる人たちがあらわれたのです。 隔離政策の不条理に直面しながらも外部社会に向けて希望・連帯・再生を希求する新たな文学の姿を、本展では「ハンセン病文学の新生面
〇久保田淳『隅田川の文学』(岩波新書) 岩波書店 1996.9 「アンコール復刊」の帯をつけて書店に並んでいた1冊である。私はいま、縁あって隅田川の近くに住んでいるので題名に目が留まった。中を開けたら、近代俳句に始まり、芥川龍之介や川端康成に言及がある。著者名を確かめて、え?と驚いた。久保田淳先生といえば、中世和歌の大家という認識だったので。本書は、著者が1年間西ドイツに出て、日頃の研究テーマを離れてみた経験から生まれたことが「あとがきに代えて」に述べられている。 はじめに登場するのは石田波郷(高校の国語の教科書で習った)で、東京大空襲から1年ほど後、江東区北砂町に移り住んだという。「百万の焼けて年逝く小名木川」などの句があることを初めて知った。神田生まれの水原秋櫻子(やっぱり教科書で習った)は「夕東風(ごち)や海の船ゐる隅田川」など近世の美意識に連なる隅田川を詠んでいる。そして川端康成の
鉄道エッセイ/短編の名作を、『旅と鉄道』誌の統括編集長の解説エッセイとともに収録した本書。「各駅停車/蒸気機関車/夜行列車/駅/駅弁/時刻表/鉄道員」など、各章に編者解説エッセイが付いています。ここでは、「時刻表」の編者解説を公開いたします。阿川弘之、宮脇俊三、西村京太郎などのいずれ劣らぬ名作品を収録したこの章を、鉄道マニアならではの眼で読み解きます。 ある時高校生対象の講演会の場で、 「もし無人島にひとり残されることになったら、一冊の本は何を選ぶか?」 と質問したところ、『聖書』『ローマ人の物語』『源氏物語』などと東西の名著が挙げられたが、なかに『時刻表』と答えた生徒がいた。なるほど、と思った。時刻表が一冊あれば、日本中の空想旅行ができるし、一本々々の「スジ」を辿ることにより、各地の車窓風景や土地柄が想像できる。ことに古い時刻表があれば、新幹線開業や青函トンネルの完成など日本の現代史を知
紹介 時を超えて。生まれ育った京都へのおもい。こぼれだす笑い。 『乙女の密告』で芥川賞を受賞。 2017年に早逝した著者によるエッセイ55 篇。岸本佐知子との「交換日記」併録。 日常を描いていながら、想像が羽ばたき、 ことばで世界を様変わりさせていく。 ここに生きている人たちがいとおしくて、読んでいると、 ふしぎと気持ちがあたたかくなる。初のエッセイ集にして、マスターピース。 赤染晶子 (アカゾメアキコ) (著/文) 1974年京都府生まれ。京都外国語大学卒業後、北海道大学大学院博士課程中退。2004年「初子さん」で第99回文學界新人賞を受賞。2010年、外国語大学を舞台に「アンネの日記」を題材にしたスピーチコンテストをめぐる「乙女の密告」で第143回芥川賞を受賞。著書に『うつつ うつら』『乙女の密告』『WANTED!! かい人 21 面相』がある。2017 年急性肺炎により永眠。エッセ
すっかりこちらに書き込むことをさぼっていますが、無事に生きています。 今年はちょっと気ぜわしさが勝ってしまって、新聞などへの投稿ができずにいますが、多少は投稿(応募)し、また、選んでもらうことはあります。それはもう年末にまとめようと思っています。 さて、第51回 佐佐木信綱顕彰歌会に子どもともども入選に選んでもらったので出かけました。 講演(佐佐木幸綱先生・頼綱先生の座談会形式)「信綱の人生について」のメモをとっていたので、自分用備忘としてこちらに書き遺しておきます。 〇趣味や食べ物 ・まだ小中学校がない時代だったので同級生がいない。そのため、今の子どもたちみたいに子どもだけがあつまって遊ぶということはなかったのではないか。どういう遊びを楽しんでいたかはわからない。 ・特に好みの食べ物は無かったような気がする。食事にあまり興味がなくて、出されたものを食べていた感じだった。 〇気性 ・せっか
序 章 両大戦間期とおじさんをめぐる研究前史 第Ⅰ部 おじさん文学論 第1章 おじさん文学論に向けて 1 大所帯家族から近代市民家族へ 2 アヴァンキュレート 3 父なき社会の息子の文学 4 母の兄弟の敗北――ザッパー『プフェフリング家』 5 代理父としての他人のおじさん――トーマ『悪童物語』 6 おじさん概念の拡大 第2章 旅するおじさんの文学 1 旅の途中の母の兄弟――エーリカ・マン『魔法使いのムックおじさん』 2 母の兄弟から他人のおじさんへ――エーリカ・マン『シュトッフェル、海を飛んで渡る』 3 かつて旅した他人のおじさん――シュナック『おもちゃ屋のクリック』 4 永遠の大学生またはおじさんの時間感覚――マッティーセン『赤いU』 5 読書する少年たち 6 旅に出られなかった甥たちへ 第3章 旅するおじさん文学として読むケストナー『五月三五日』 1 五月三五日のリンゲルフートおじさん
本文に入る前に手短に書いておくが、10月号から「短歌研究」の短歌時評欄が消えた。2号続けて掲載がなく、誌面上に特に説明もないため、廃止されたと見てよいだろう。これは由々しき事態である。時評とは何を論じるか含めて評者に委ねられた批評の場であり、あらかじめテーマを設定された上で書くことになる特集記事よりも自由の保障された欄である。それをなくすのは、媒体における言論の自由の度合を弱める方へ舵を切ったと見なしうる行為である。特集を通じて「ブーム」を牽引し、現在の短歌のもっとも旬なものを取り上げようという自負があるのは分かるが、媒体のなかの風通しとしての批判の機会があらかじめ奪われているとすれば、それは結局のところ権威化と腐敗の始まりでしかない。そんな雑誌が、歌壇唯一の評論の新人賞である現代短歌評論賞を有していると思うと、頭が痛くなってくる。当たり前だが、同じ「取り上げる」という行為にあっても、批評
南北朝期から室町期にかけて、日本文化史上、特筆すべきムーブメントが起こった。 天皇や貴族、武士や僧侶など、地位や身分を越えて人びとの紐帯となった「連歌」である。 この連歌を専らとする連歌師たちは、歴史の中でどのように立ち回り、その地位を築きあげていったのか。文芸としての連歌をどのように展開させていったのか。 丁寧に諸資料を読み解き、時代のなかに連歌師のあり方を位置付けた名著を装いを新たに復刊。近年盛んとなっている室町期研究における必読の書。 はしがき Ⅰ 連歌と連歌師 1 連歌の魅力 2 連歌の発展と式目の形成 3 連歌師 4 連歌会 5 賭け連歌 Ⅱ 連歌師 1 連歌師の誕生 2 鎌倉後期の連歌師 3 南北朝時代の連歌師 4 室町時代の連歌師 5 戦国時代の連歌師 Ⅲ 連歌師の行動と文学 1 京洛における連歌師 2 地方好士たちの中へ 3 地方連歌師 Ⅳ 連歌師の遺産 1 連歌作品―連歌
kenzee「前回の続き。小沢健二さんの歌詞とはなんだったのかのその2。前回、村上春樹のデビュー時における日本語小説へのアプローチと実験の話で終わった。村上はデビュー作をまず、タイプライターで英語で書いた。それを原稿用紙と万年筆で自分で日本語訳していった。結果、今でも議論の分かれる「乾いた文体」が生まれたのである。まず、すでにアルフレッド・バーンバウムによって英訳されたデビュー作「Here The Wind Sing」から有名なチャプター11のシーンを読んでみよう。N・B・EポップステレフォンリクエストのDJのオープニングトークだ」 DJらしいカッコいい響きの英語であることがおわかりいただけるだろう。英語の優れた点は「Greatest Hits Request Show,~NEB Radio」のようにルーズな発音だとあまり意識しなくても簡単に韻が踏めるところだ。この英語の小説の作者は「カッ
ことし生誕百年を迎えた橋川文三(1922-83)の著作を、このところじっくり読む、あるいは読み返すなどしている。ちなみにいうと、「文三」の読みは両様あるようだが、「ぶんぞう」ではなく「ぶんそう」が本来ではないかと思われる。この五月に講談社と丸善ジュンク堂との合同企画で復刊された、橋川の『柳田国男―その人間と思想―』(講談社学術文庫)の奥付の著者名の読みが「ぶんぞう」だったので、念のために記しておく。なおこの文庫は、橋川の生前(1977年)に刊行されているが、その初刷りでも「ぶんぞう」となっていた(復刊に際して新たに組み替えられているが、そのままだった)。 わたしが橋川の著作を読みはじめたのは古い話ではなくて、中島岳志編『橋川文三セレクション』(岩波現代文庫2011)がそのきっかけだった。今もおもい出すが、ひどく寒い日の夕刻のことで、或る人がやって来るのを待つ間、京都・四条河原町のブックファ
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